たもつ二言三言


      ミネラル摂取の難しい時代 (2015.1月)

  人をはじめ全ての生命体は周りの環境を取りいれながらその生命活動を
維持している。”身土不二”の考え方はこの関係(生命体と環境)の大切さ
を教えている。環境のミネラル条件が正常であれば、そこで成長する植物は
健全に育ち、その健全な植物を食べていれば、人は何の心配もなく、健全に
暮らせる。(はずであった。)ところが、そのミネラル条件が、人の活動に
よって乱されてしまった。原因の1つは、大規模に均一商品作物を作り続ける
近代農法の始まりにあり、もう1つは、海の汚染に伴う海産物摂取の減少
(正しくは摂取の忌避)にある。また、同時に、食の嗜好変化も影響して
いる。

  1つ目の、経済優先の大規模近代農法では単一商品作物が作りつづけ
られる(連作)ため、その耕作地のミネラル条件は悪化の一途をたどる。
ここに至る前に、ミネラル条件の良い有機物を耕作地に投入すれば、この
悪化の一部は徐々に改善されたであろうけれども、実際には、この農法では
そんな手間をかけているヒマと労力の浪費はできない。(とにかく、儲けなけ
ればならない)この農法においては、ミネラル条件の悪化に伴う収量の低下は
化学肥料と農薬の多投で切り抜けるしかない。そして、一層の条件の悪化を
来たし、それでもまだ化学肥料と農薬の投入を続ける、いや、続けざるを
得ない。生活のために。耕地の荒廃は2の次。

 一方、有機農法の耕作地では(全てではない)、外国産の飼料を食べた牛、
豚、鶏などの排泄物を堆肥化した有機物を耕作地に投入する場合が多くなり
、このような耕作地でもミネラル条件が悪化する。飼料とする植物の
身土不二が満たされていず、たぶん、それで育つ動物も健全とは思われないが、
その排出物も国内のミネラル条件に合わないはず。そんな有機物をいれても
畑のミネラル条件は改善されない。また、このような有機物の投入には
別の問題がある。それは、最近の畜産のあり方に関係して、密集飼い
対策と成長の促進のために抗生物質とホルモン剤が多用される現実にある。
これら薬の多用は畑の汚染のほか、川や海の汚染に繋がる。
スーパーなどに一見見栄えよく陳列されている野菜の多くはこんな畑で
栽培されたものが多い。そんな野菜を摂り続けていれば人のミネラル
条件は悪化し、体の不調を来たす。

  国の医療費は年1兆円くらいの増加が予想されている(すでに30兆円
近いらしい)が、こんな捨て金を使うくらいなら、食の質の向上に使った
方がはるかに益しである。竹熊先生が言うところの”土からの医療”である。

  もう1つの問題は海にある。海は本来”命の母”と呼ばれるくらい
すぐれた生命活動の場であり、そこで生育、漁獲される海産物のミネラル
条件は無条件に人にも最適なものであった。それが、人の活動によって
各種の汚染(PCB,水銀、重金属ほかの人工化学物質、さらには
放射性物質など)が深刻なまでに進んでしまった。その結果、海産物の
危険性のほうが、その有効性をはるかに凌ぐに至って、海産物の摂取が
控えられ、あるいは、避けられ、せっかくの海の恩恵を受けられなく
なってしまった。残念なことに。

  海の汚染で言えば、上記の近代農法で多用される化学肥料や農薬と
畜産業における抗生物質、ホルモン剤、飼料中の各種添加物などの
海への流入はその量が半端でなく、統計は見たことがないが、
相当な量が海に蓄積される一方、そこに生息する生き物たちに
吸収されているのではないだろうか。

  こう見てくると、負の遺産ばかりが目に付いてしまう。では、現実
問題として、ミネラルの問題にどう対処していけばいいのだろうか。
日本は狭いと言えどもまだまだ、本来のミネラル条件の保存されている
所はある。例えば、手つかずの山や原野などのほか、戦後すぐのころから
(近代農法前)耕作放棄地。こういった土地で食べ物を育てる。もう1つは
、 そういうところで健全に育った雑草や落ち葉を、土の負担が大きくなりすぎ
ない程度に少しづつ目的耕作地に投入する。山や原野の耕作地化もできるだけ
小規模にするべきである(急激な変化に自然は追いつけない)。
土のなかでの自然な物質循環を乱してはならない。

  また、もう1つの方法は、耕作地に、主根がまっすぐ地化に伸びる落葉樹を
植えておく。野菜類の根の届かない、深いところからミネラル分を吸収し、
地上に落ち葉として回してくれる。時間はかかるが確かな方法である。

  以上いづれも大規模に実施するのは難しい方法である。しかし、
いづれの方法も自然の循環に学んだ方法であり、自然への負荷が少なく
すむ。里山を守りながらの自給的な小さい農業なら実践できる。


      奪いあっては足りず、
         分け合っても足りない時代 (2015.1月)

  相田みつをさんの詩をもじった表題である。
相田さんは、奪い合いはこころの荒廃を招き、争い(戦争)のもとになる。
分け合えばこころの平安と平和が得られると考えて1つの詩を作った。
食料の表立った奪い合いは、幸いにもまだないが、このまま世界の人口が
増え続ければ食料の争奪が起きるのはほぼ確実。食料危機の原因は人口
増加だけでなく、世界規模の異常気象の多発、耕作地の荒廃の進行、
高エネルギー食の増加などがあり、すでに消費が生産を上回ろうと
している。知らないだけで、裏ではすでに食料の争奪が起きていても
おかしくない。エネルギーの問題同様に。

 でも、食の問題はエネルギー問題と異なり、人の命に関わる。
その意味で、国の安全保障の要は防衛ではなく、食料確保にある。
世界の大国と称される国のほとんどは、その観点から対策を怠らず、
すでに、食料自給率100%以上を達成している。対して日本では、
相変らず、工業製品とサービスの輸出による外貨稼ぎに重点が置かれ、
食料自給率の向上は2の次にされている。少なくとも本腰を入れて対策を
取ろうとしているようにはみえない。戦前の、エネルギー供給が妨害
されたときに日本の取った戦争と言う選択には大きな反省があったはず。
食料問題は間違いなく、エネルギー問題以上に深刻であり、過去の反省に
たった早急な対策が必要である。最近の政治の動きのなかには、なんとも
きな臭いいやな雰囲気を感じる。”美しい国、強い国を取り戻す”というが
、 方法と順序を間違えてはならない。奪い合う戦略ではなく、分け合う戦略が欲しい。


                 自然を守り、人を救う小さな農業 (2015.1月)

  小さい農業と言う時の対極には機械化した近代大規模農業を置いている。
大規模農業を支えるのもこれまた科学技術である。前項で”悪魔の手先”と
表現したが、その一方では、近代における急激な世界規模の人口増加を支えて
きたのも他ならない科学技術の進歩のお陰である。そして、今後予想される
急激な人口増加に対しても科学技術の一層の発展に期待するところが大きい。
しかし、どこかで、”科学技術はそんなに万能で無限の力を持つものだろうか”
、 の思いもある。現状、すでにその功罪の罪のほうが目立ち始めているというのに。
例えば、人口増加という種の繁栄を助ける一方、自然破壊とその生態系の破壊を
通じて、人を含めた多くの生物を消滅の危機に追いやろうとしている。

  ”どうしてこうも皮肉な事が起きてしまったのか”。
  それは、たぶん、科学技術が政治や経済の枠に組み込まれ、利用されるままに
発達してきてしまった事のほかに、それ自体の”不完全さ”にあるように思う。
その不完全さとは、
1)科学技術が細分化、深化されすぎ、ほんの一部の専門家しかその内容を
正しく理解できなくなってしまった。
2)技術の進歩の連鎖が速過ぎ、技術の社会に与える影響を精緻に考察するアセス
メントや、それ自体の評価ができない。
3)科学技術万能の錯覚が社会を覆い、自然をもコントロールできるがごとき、
これまた、錯覚に陥っている。
4)科学技術の恩恵を受けているが、多くの場合、その技術の内容はブラック
ボックスの中にある。知らないうちに知らないところに導かれる。
  こんな”不完全さ”をもつ科学技術に支えられた近代大規模農法に未来の
食を託していいのだろうか? こんな思いから表題を掲げてみた。
確かに、小さい農業で本当に、きたるべき人口増加(食料危機)に対応できるのか
の思いもある。日本で見ると、近代農法の導入前の、70−80年前までは
確かに、小さい農業で自然も守られ、自給農業が成り立っていた。しかし、
今は日本人口も当時の倍近くまで増えている。また、すでに、これまでの
耕作によって耕作地自体の荒廃も起き、一方では各種人工物質の多用による
自然の汚染も深刻である。こんな現実の中で、小さい農業を標榜して本当に
上記目的を達成できるのか。また、小さい農業を実践していくための人の
問題意識とモラルをどう高めていけばいいのか。
 今年、もう少し考えを巡らす必要がある。


            人の時間と自然の時間 (2015.1月)

  人為的な環境破壊をみていて、人の時間と自然の時間というものを考えるようになった。
自然の時間は悠久の歴史の流れを背景にした、それこそ自然に任せたゆっくりした時間の
流れである。これに対して、人の作り出した時間はとにかく速く、周りの流れを無視した
独りよがりな、わがままな時間である。そして、この両者の時間の差に相当する分の
環境破壊が結果として現れた。こんな両者のはっきりした乖離が現れたのは、人が科学
技術を身につけてからであり、それ以来、科学技術の急激な進歩と歩調を合わせて、
環境破壊も進んでしまった。

  そもそも科学技術の目的は、自然の恩恵にあずかって、人の福祉(人が安心して
こころ豊かに暮らせる事)に貢献すると言うことにあったはず。それが、いつの間にか
、 人、そのものの存続を危うくする自然破壊や生態系の破壊を推し進める”悪魔の手先”の
ようになろうとしている。このような流れに多くの警鐘は鳴らされているが、大きな
力は聞く耳を持たない。

  そんな現状の中、畑仕事をしながら、”人と自然の時間の乖離をどうして埋める
べきか”、などということをつらつら考えてみた。結果から言うと、これまた、問題が
大きすぎてどうしていいかわからない。方向はわかっていても。
そんな中で1つ、もっともらしい言い回しは、”自然の流れの中に人の時間の流れが
作れるように科学技術の使い方を方向付ける。間違っても、人の時間の流れに自然の
時の流れを従えるようなことがあってはならない”。このことは、政治や経済発展の
お先棒かつぎに利用されている科学技術を本来の目的(人の福祉向上、自然とその
生態系の維持)に軌道修正することを意味する。言い方をかえれば、経済至上主義の
現状を、自然とその生態系の維持を最優先にする社会に再構築していくこと。
自然の流れは大きく、悠久であるが、人の欲も果てしがなく、大きい。
言うはやすく、行うは難しである。

  4年前の東北震災と原発事故のあと、”まだ間に合うのなら”という小冊子を
発行した人がいた。ここでも、また、この言葉を思い出してしまった。


       ミネラルについて考える(2015.1月)

  以前、ミネラルの作用効果に主眼を置いて、”身土不二”の観点から見た、食べ物作り
のあり方について考えてみた。そして、1)人体において、ミネラルの量、種類、バランス
(ミネラル条件)が人体機能の調整役として大切である事、2)人の生命維持活動において
食べ物の身土不二と、それを支える自然(環境)の多様性が必要不可欠であることの2点に
思い至った。そして、この観点に基づく野菜つくりこそが基本的、そして理想的な農のあり方で
あろうとの結論に至った。しかし、その後も、”どうしてそこまでミネラルが人の生命活動に
重要な役割を果たしているのか?”という思いが残った。そんな折、BMW(バクテリア、ミネラル
水)処理システムに関する本を読んでいて、その中に、”人体(肝臓)と植物(アルアルファ)に
おけるミネラル濃度と、海水や地殻中のミネラル濃度の間にかなりの相関がみられる”との記述を
見つけた。この相関に上記の疑問に答える何だかのヒントがあるような気がして、昨年一年、頭の
隅で考えてきた。なお、ここで参考にあげた本のデータは実験データに基づくものであり、後日、
原本といえる資料を入手できた(生命と金属:落合栄一郎著)。

  人体、植物、海、地殻の4者の間にみらるミネラル濃度の相関は何を意味しているのか?
1つの納得いく説明は、以前紹介した、福岡伸一氏の動的平衡の考え方から得られる。つまり、
”生命は環境の一時的な淀みであり、その環境の流れ中で動的平衡を保っているもの”として
生命を定義している。この考え方に沿えば、人体、植物と、海、地殻という環境の間のミネラルの
相関があっても何の不思議もないようにみえる。なおも、しかし、である。海と地殻の相関は
確かに両者は物理的に繋がっており、納得できる。が、それらと生命体(人体と植物)の間の
相関に直もしっくり来ないものを感じる。その理由が、”ただ周り(環境)にあったから生命体が
取り入れた”という、いかにも消極的な理由だけでは納得しづらいものがある。むしろ、そこには
”何か、生命体にとって、摂り込まざるをえない”ような理由があったのではないかという思いに
至った。それは、生命の根源的な部分と密接な関係を持ち、遺伝情報の中に組み込まれ、今に至る
という、生命誕生からの流れを考察する必要があるのかもしれない。

  生命誕生とその進化の様子には諸説あり、多くは謎のままであるけれども、その中でも多くの
支持を得てる説を参考にして、上記の疑問点について、あくまで私的な考察を試みてみようと
思う。(かなりの部分は独断と偏見であり、多くは単なる参考文献の引用)
この考察から得られるものは、とりもなおさず、人の健全な生命活動に関わるミネラルの重要性と
食べ物作りのあり方、その作り方についての基本的な指針を与えてくれるものと考える。
以下、次の順に記してみる。
1)生命の誕生
2)光合成の仕組み
3)人体におけるミネラルの働き

1)生命の誕生

  ”生命”の基本的な定義は”自己複製機能と代謝機能を合わせ持つもの”とされている。前者は
自分と同じものを生み出す能力、機能のこと、後者は、生命体構成部品をその原料を調達し作り出す
こととその活動維持のためのエネルギーを生産する能力、機能のこと。
では、そのような生命は、どこで、どのようにして誕生したのか? 諸説ある中で多くの支持を得て
いるのが、”熱水噴出孔説”らしい。特にこの説に沿って生命の誕生が実験室的なレベルで確認されて
いるわけではなく、”生命誕生に必要な条件がそろっている”ということらしい。

  ”熱水噴出孔”というのは、海水が地殻のマントル近くまで浸透し、それがマグマで加熱され、
再び海水中に煙突のように噴出するところ。その付近は高温、高圧の高エネルギー状態
(350度以上、200気圧以上)となり、海水はいわゆる”超臨界水”として振る舞い、
液体とも、気体もつかない、特異な状態が実現する。そして、この高エネルギー状態の海水のなかに
メタン(C,H化合物)やアンモニア(N,H化合物)などの分子が豊富に含まれており、そこで、
たんぱく質の基となる各種アミノ酸が合成される。生命体構成材料であるたんぱく質はこのアミノ酸
が重合反応して(重合反応:反応系から水を奪う)つくられれる。このような高温、高圧条件は
実験室的にも再現できるものであり、ここでの一連の反応は実証されている。そして、その中で、
本題に関する重要な知見が得られている。それはミネラルの関与である。

  噴出する超臨界水の中には鉄、マンガンなどの金属(ミネラル)が豊富に含まれ(地殻浸透,
移動中に溶かし込まれる)、これを実験室レベルで再現してみると、確かに各種アミノ酸と球状の
たんぱく質の合成が確認できたらしい。もちろん、再現性もあることとして。このことから、
海水中に溶け込んだ金属(イオンの形)がアミノ酸の合成とたんぱく質の合成に関与してることが
確かめられた。ここでの金属の関与の仕方は、反応成分としてではなく、触媒(反応を
促進する)としてであり、上記反応をつかさどる”装置”ということができる。つまりは、上記反応は
いくら材料がそろっても、金属と高エネルギー状態という装置がそろわなければ実現しない。

  生命誕生までの次のステップは以下のように推論されている。
つまり、内部に様々な分子(CHN化合物、各種のアミノ酸、たんぱく質、それに金属など)を取り込んだ
球状に近いたんぱく質が生成された後、内部での様々な”化学反応の連鎖”(謎の部分)が起き、生命の
始まりを迎えた、とされている。この球状に近いたんぱく質については、りん脂質で出来ていたという
説もある。そして、それぞれの化合物の場合について、その球状の形状を取る理由は次のように
考えられている。(本質からそれるけれども)まず、たんぱく質の場合、親水性(水になじみ易い)
アミノ酸側を外に、疎水性(水をはじく)アミノ酸側を内側にして丸まる性質がある。また,
りん脂質の場合にも、水になじみにくい部分を内側にして自然と球状に変形する。(いずれも水の
中の場合)

  話を元に戻して、”化学反応の連鎖”についても金属(ミネラル)の関与が大いに考えられる。
以下の推論を支える資料は持ち合わせていないけれども可能性は高いと考える。それは最初の
アミノ酸、たんぱく質の合成時と同じく、熱水噴出孔での高温高圧の関与した可能性である。

  一度高エネルギー状態を経て生成された、内部に種々の分子や化合物を含む球状化合物
(たんぱく質かりん脂質)が海水中に放出される。その海水が再度、あるいは、数度熱水噴出
孔の高エネルギー状態を経験する。この高温高圧条件はまさに化学反応を繰り返すにはもって
こいの条件である。反応物質の距離は近くできる上、分子の反応活性は著しく高くなる。そんな
なかで、金属の触媒効果も高まったとすると、それこそ、人智をはるかに超える複雑な反応と
予想をこえる化合物の生成が起きてもなんの不思議もない。ここで一気に生命誕生に結び付
けるにはまだ無理があるかも知れないけれども、上記の途方もない化学反応の連鎖を経て、
また、反応の長い時間を経て、生命”の定義にある自己複製機能を有するリボザイム(RNA)
という高分子材料や、生命体構成材料をつくり、その活動エネルギーを作り出す機能(代謝機能)
をもつたんぱく質(金属を含むものもある)が生み出され、ついに生命が誕生した。

  ここでまた、話はややそれるが、陸上生物の誕生までの経緯は次のように推定されている。
それは、生命体における生命維持活動に使うエネルギーをどう獲得してきたか、の流れでもある。
始め現れた細菌は海水中を浮遊していたと考えられ、その中(海水中)の有機化合物を分解して
その過程で出るエネルギーを利用していた。そのうち、海中の有機化合物が少なくなり、次の
細菌は、硫化水素(H2S)と二酸化炭素(CO2)から光エネルギーを利用して有機化合物
(糖)を合成してエネルギーを得ていた。これが光合成細菌の始まり。そのうち、また、その
原料が少なくなり、ここで初めて、水と二酸化炭素を原料に光エネルギーを利用した光合成を
行う光合成細菌が登場した。そして、このとき以来、海水中の酸素濃度が高くなり(この
光合成に伴う生成物は炭水化物と酸素)、海水中の鉄分の多い間はその鉄が吸収して酸化鉄
を作ったが、その鉄分が足りなくなると大気中に放出された。ここではじめて大気中の
酸素濃度が上昇し、これが陸上生物の始まりとなった。

  以上見てきたように、ミネラルは生命誕生以前の材料の合成から、それに続く誕生過程に至る
まで重要な役割を担っていた。見方によっては、ミネラル(金属)が化学反応に利用できる形で
地球上に存在していたからこそ、生命は誕生できたとも考えられる。

  次は、多くの生物の生命活動を支えるエネルギーを産出する光合成反応をみてみたい。
植物は、この方法で太陽エネルギーの一部を地球上に固定する重要な役割を果たし、その
固定してくれたエネルギーを利用してはじめて人を含めた多くの動物たちがその生命活動を 維持していける。

2)光合成

  この反応は、光エネルギーを利用して、CO2とH2OとからC6H12O6という
炭水化物と水と酸素を合成する光化学反応である。植物はこの反応を利用して自身の成長の
養分を作り出しながら、同時に、太陽のエネルギーの一部を地球上に固定し、多くの動物
達の生命を養っている。逆に言えば、地球上の動物たちの命は植物たちの固定してくれる
エネルギーで規定され、それ以上には増えることは出来ない。これに関して言えば、植物も
同じで、その繁殖できる量は土(自然)の量に規定される。この関係は生態系ピラミッドと
よばれる。
ここで光合成反応を取り上げた理由は、この反応過程にも金属元素(Mg,Fe,Ca,
Cu)を含む化合物が数種類関与しているからである。

  光合成は植物細胞の中にある数μmの葉緑体の中で行われ、反応の過程は1.光エネルギー
を受けとる、2.クロロフィルという化合物から電子を追い出し、水の関与を経て、反応中心
に電子を伝える、3.ATP(炭水化物を作る酵素)という酵素をつくる、4.ATPのもつ
エネルギーを利用して、CO2と電子(CO2還元用)から炭水化物を合成する。この反応
全体は複雑でややこしいので、この中で金属元素の関与する部分に的を絞る。まず、光を
受け取るのは”クロロフィル”と呼ばれる色素であり、この色素は炭素が作る環状構造の
中心にマグネシュウム(Mg)をもっている。また、この色素は青紫色と赤色をよく
吸収し、緑色と黄色を反射または透過する性質をもつため、植物の葉は緑色に見える。

  このクロロフィルは光エネルギーを受け取ると化学的に励起状態(興奮状態)になり、
電子を放出する。この電子は反応中心を経てATP合成酵素の合成に使われる。光照射
により連続して起きるクロロフィルからの電子放出を補う役割をするのが、水の電気分解
により発生する電子。この電気分解はクロロフィル近傍で起きるもので、この電気分解に
マンガンクラスターと呼ばれる集合体が関与している。この集合体は4個のマンガン(Mn)
1個のカルシューム(Ca)と5個の酸素よりなり、これが電極となって水分子を吸着し、
分解する。反応物の酸素は体外へ、水素イオンと電子は最終過程の炭水化物の合成に
使われる。一連の電子伝達はかなり複雑であるが、ここにも金属元素を含む化合物が
関与している。1つはフェレトキシンという鉄ーイオウ(Fe−S)たんぱく質、もう
1つはプラストシアニンという銅(Cu)を含むたんぱく質。
  以上のように、光合成反応にも金属元素(ミネラル)が必要不可欠な元素として
関与している。

  また、話はそれるが、この光合成反応の中にATP合成酵素の合成装置として
分子モーターが出てくる。回転子の入る外側はある種のたんぱく質で出来ており、
水の電気分解で出来た水素イオンの、入り口、出口(モーターの)での濃度差を
利用したH+の流れ(隙間の流れ)により回転子を回す。このときの回転子と
外側のたんぱく質との間に発生する摩擦エネルギーを使ってATPを合成する。
毎秒17回転し、その間50個のATPを作るらしい。
あの変哲もない植物の葉の中でこうも精密な化学反応が起きていることにも
驚くが、その中に分子モーターのようなさらに精緻な機械装置が動いていようと
予想もできないことであった。実は、人体の細胞内にあるミトコンドリアという
エネルギー生産工場にもこの種の働きをする、同様な機構の分子モーターが動い
ている。人体は食べ物のエネルギーをそのままの形では直接使うことが出来ない
ため、そのエネルギーを使って一度、体内で利用できる形のATPを合成しなけ
ればならない。このとき分子モーターが機能するらしい。
ここにも植物と人間の密接な関係を見ることが出来る。

3)人体における金属の役割
  (生命と金属の本からの受け売り)

    鉄(Fe)

  鉄は全てのミネラルの中で最も多くの生体機能、生体反応に関与している。
生体は、鉄を金属元素のままでは利用できず、イオンの形をとらねばならない。
それは生体の媒体が水であり、そこに溶け込む必要があるからである。鉄の場合、
水に溶け込みやすいのは2価の鉄であり、3価は化合物を作り沈殿する。
鉄の2価、3価のイオン間での電子のやり取り(電子1個)は少ないエネルギーで
迅速に行える。また、ここでの電子のやり取りと、酸素のイオン化での電子の
やり取りがうまく整合するため、鉄イオン間(Fe2+とFe3+)の反応は
生体内での電子の移動と伝達に関与するところや、酸素の運搬など酸素の介入
する反応などに広く利用される。

     人体には約5gの鉄が含まれ、その大部分は血液中、赤血球内のヘモグロビン
という酸素運搬機能をもつたんぱく質に結合する形で存在している。ヘモグロビン
は環状の有機化合物の中心に鉄(Fe)が結合した錯体(金属が構造の中心に
位置した有機化合物)。これに類似の化合物として生体内には他に、Co,Ni、
Mgと結合した錯体のたんぱく質が知られている。それらの生体内での機能は
以下のようである。

 鉄系は酸素運搬とその貯蔵、Co系(ビタミンB12)は血液合成、Mg系は
クロロフィルで見た光合成、Ni系は水素活性化酵素。

  さらに、遺伝子DNAの合成過程に働く鉄を含む酵素もある。この種の
酵素は構造内に2個の鉄元素を持ち、そのため2核錯体と呼ばれる。これは
DNAを遺伝子とするすべての生物に共通して必要不可欠なものである。

  次に鉄の代謝。ここにも金属元素の関与したいくつかの反応が見られる。
鉄は主に小腸上部で吸収され、肝臓を経由して血液に乗って体内に運ばれて
利用される。1日の摂取量は2−3gで、血液にいる量も同量であるが、
血液中を流れる鉄の量はその10倍にもなる。鉄は血液中をイオンとして
運ばれるのではなく、トランスフェリンという鉄運搬たんぱく質に結合した
形で運ばれる。そして70%ちかくは骨髄に運ばれ、ヘモグロビンの合成に
使われる。残り約30%は前出のような鉄たんぱく質酵素の合成に使われる。

  一方、役目を終えた、老朽化したヘモグロビンは分解され、そのなかの鉄は
フェリチンという、袋状の構造をもったたんぱく質の中に貯蔵される。そして、
鉄が必要になると、これまた、ある酵素を使ってフェリチンから鉄を取り出
せるように指示をだす仕組みになっている。フェリチンというのは、その
構造を見るとなんとも不思議な鉄貯蔵庫である。そして、この鉄貯蔵庫
フェリチンは人、哺乳類に限らず、植物、カビ、細菌にもあるものらしい。

 また、話はそれるけれども、身近に起きる貧血症の原因も、ここで見た鉄運搬
機能の低下とヘモグロビン合成機能の低下にあることが知られている。この
2つの機能低下にも、鉄ではないが、銅(Cu)とコバルト(Co)が関与し
ている。話はやや込みいって来るが、前述の鉄運搬たんぱく質に鉄が結合するが、
このとき結合できるのは2価ではなく、3価の鉄に限られる。血液内のphから
すると自然と鉄は2価から3価になるはずであるが、人体は用心には用心をして
この変化を間違いなく遂行できる銅(Cu)を含む酵素を作り出した。(この
酵素は本来は銅運搬酵素)従って、もし銅が不足するとこの酵素がつくれず、
鉄を必要な所に運べず、結果、ヘモグロビンを合成できず、酸素が運べず、
貧血を引き起こす。もう1つは赤血球内ヘモグロビン自体の合成に関与
するコバルト(Co)系たんぱく質、ビタミンB12の欠乏による貧血である。
いくら貧血症といっても、むやみに鉄だけ摂ればいいというものではない
ことがわかる。

銅(Cu)

  銅は胃や腸からアミノ酸に結合した形で吸収され、血液中を銅運搬酵素
セルロプラズミンに結合して肝臓などに運ばれる。人体内での分布で多い
所は順に肝臓、脳、肺、次いで腎臓。肝臓は銅の貯蔵庫として働くほか、
多くの銅を含む酵素の合成に関与しているからであり、脳は神経伝達物質
であるドーパミンの代謝に関わっているからである。また、銅の欠乏症は
骨格系の異常や毛の異常をもたらすらしい。銅を含むたんぱく質は光合成
でみたような電子運搬機能を持つたんぱく質のほか、鉄系たんぱく質の
持つの生物機能と同様な機能をもつたんぱく質が多い。

亜鉛(Zn)

  亜鉛は小腸で吸収され、血中を血清アルブミンに結合して、すい臓、肝臓
腎臓、前立腺などに運ばれ吸収される。肝臓は亜鉛量のコントロールと、亜鉛系
酵素の合成に関与している。亜鉛を含む酵素の種類は非常に多いが、特筆
すべきは遺伝子DNAの合成に関与するDNAポリメラーゼというZnを
含む酵素である。この酵素はDNAを合成する素材間の重合反応に触媒として
働く。このため、生命にとって最重要の、かつ、最古からある酵素と考えら
れている。従って、当然のことながら、既往の生物における重合反応促進
酵素のすべてに亜鉛(Zn)が含まれている。そのため、亜鉛の欠乏は、
細胞分裂を妨げ、成長を阻害し、生命体の発育不全を招く。また、実験では
成長異常や生殖異常も報告されている。

カルシューム(Ca)

  Caは小腸上部から吸収され、血中をイオンの形か、たんぱく質に
結合した形で運ばれる。体液中のCa濃度の制御には副甲状腺ホルモンと
甲状腺ホルモンが関係している。血中濃度が上りすぎると、甲状腺から
ホルモンが分泌され、骨(Caの貯蔵庫)からのCaの放出を抑える。
一方、濃度が下がると、副甲状腺から別のホルモンが分泌され、Caの
放出が促される。
  Caは細胞内で起きる全ての生理現象に関与し、特に、細胞分裂、
脳の機能、筋肉の働きに関わる。大別して、骨、歯、貝殻、卵の殻と
いった構造的機能と、細胞や臓器のコントロールといった生理的機能
をもつ。例えば、細胞内での複雑な情報のやり取りの中では、1つの
情報を1つの具体的な化学反応に変換する物質が必要であるが、その
ような役目を果たす物質の中心にCaイオンが存在する。これは
筋肉の機能や脳の機能についても同様であり、きわめて小さいエネルギー
で迅速に情報を伝達し、実際の活動に変換する(化学反応を経て)ことの
できる元素としてCaが選ばれたものと考えられている。


  人体の約4%を占めるミネラルのうち、所謂必須ミネラルは主要ミネラル
7種(Ca,K,Na,Mg,P,Cl,S)、微量ミネラル16種(Fe,
Cu,Zn,F,Si,V,Cr,Mn,Co,Ni,As,Se,I,Cd)の
計23種。これらの元素についても、最近までの多くの生物実験によってその一部の
機能と働きが解明されたにすぎない。特に、上記ミネラルのほかの極微量存在する
元素の機能や働き、また、それらすべての元素間の相互作用で現れるかもしれない
機能や働きについては今後の研究を待つしかない。

  以上見てきたように、ミネラルは生命体にとって、必須(必要)といったどころ
ではなく、なくてはならない、必要不可欠な要素と言える。
以下要約してみると次のようになる。
生命体の維持と活動を支える素材はいかようにも調達できたとしても、その素材から
実体のある生命とその生命活動を維持するエネルギーを得る装置が働かなければ
生命は誕生、存続できない。この装置、それ自体に関与し、その正常な作動を
コントロールしているのがミネラルである。そして、その機能と働きは生命誕生
以来のものであり、その後の長い進化の歴史を経ても失われる事なく、生命体の
遺伝情報として連綿と引き継がれてきた。

  地球環境におけるミネラル条件(種類、量、バランス)は地球誕生以来刻々と
変化してきているはずであり、また、山岳地帯や平野部といった地域環境のほか、
気象条件の差などによっても差異が生じてきたはずである。人はそんなミネラル
条件の変化と差異に適応し、それを細かな遺伝情報として伝え合うことにより
現在まで存続できた。つまりは、地球上の(あるいは日本国内の)多様なミネラル
条件(土環境)に応じて、多様な生命体(人)を作り出してきた。前記の要約も
考慮すると、ミネラルの大切さを伝える1つの言葉として、また、種の存続
と種への戒めの言葉として大切に伝承されてきた言葉が”身土不二”ではない
でしょうか。身土不二はややもすると地産地消と混同されるが、そんな軽い言葉
ではなく、人か、その生を健全に全うしていくための大切な教えの1つであり、
これからも確実に伝承(正しい理解のもとに)していくべき言葉と思う。

  しかし、現実には、この言葉の意味すら理解するのがむずかしく、その
実践となると、気が遠くなるほどの困難に立ち至ってしまう。国内産、外国産を
問わず、近代大規模農法による食品品質の低下、加工食品の洪水、海外原産品種
の増加、食の嗜好の変化など挙げればきりがない。これらの根本原因は最近の
急激過ぎる人口の増加とそれを支えると言う名目で、これも、急激に進歩
してきている科学技術の乱用にある。原因は元から絶たなければならないが
、 この件についても相手が手ごわく、大きすぎる。

参考資料

 ”生命と金属”、落合栄一郎、共立出版、1991年

    以下、ニュートン別冊
     ”生命史35億年の大事件ファイル”2010年
     ”水のサイエンス”2006年
     ”細胞のしくみ”2013年


    長田 弘詩集より

  主に、”ファーブルさん”より

目を開けてみるだけでよかった
耳を澄ませて聴くだけでよかった
どこにでもない、この世の目ざましい真実は
いつも目のまえの、ありふれた光景のなかにある

生きるように生きる小さい虫達
虫達は皆精一杯、今、ここを生きる
力をつくして、自分の務めを成し遂げる
自分のでない生き方なんか決してしない
みずからすることをする、ただそれだけ
生命と言うのは全て完全無欠だ
クソムシだろうと人間だろうと
世の中には無意味なものは何一つない

また、何1つ孤立したものはない
この地上で、生きる目的と究極の目的を
   自分の内にしか持たないものなんかない
ものはみな、無限の関わり合いの中で生きている

一匹のカタツムリの殻に建築として到底及ばない
どんな王宮だって、優美さにおいて、精妙さにおいて
この世の本当の巨匠は人間ではない
この地球上で、人間はまだしわくちゃの下絵にすぎない
我々貧しい人間にさずかったもののうちで
       一番人間らしいものはなんだろうか

なくてはならないものは、自由と静かな時間
自分の人生は自分できちんとつかわなければならない

理解するとは、激しい共感によって相手に結びつくこと
自然と言う汲めど尽きせぬ一冊の本を読むには
   まず、身をかがめなけれなならない

     ”立ちどまる”

立ち止まる
足をとめると
  聴こえてくる声がある
  空の色のような声がある

木のことば、 水のことば
雲のことば、 雨のことば
草のことばを話せますか

立ち止まらなければ
  ゆけない場所がある
何もないところにしか
   見つけられないものがある

2014.1.27


永遠の過去と永遠の未来

永遠の過去、永遠の未来
  その間の一瞬のいのち
     いまここに生きて
     あたらしい春に逢う
     ありがたきかな
以上、相田みつをさんの詩から

以下、自作
過去から未来へのほんの一瞬を与えられ、生きる生き物たち
だれも皆、自分だけの時を生きられない
無限の流れの中で生かされている
人間の都合でその流れを乱してならない

限りあるこの地に生きる場を与えられ、生きる生き物たち
だれも皆、自分だけでは生きられない
無限の関わり合いの中で生かされている
人間の都合でその関わり合いを乱してはならない

2014.1.27


  自立のすすめ

独立の気力なきものは必ず人に依頼す
  人に依頼するものは必ず人を恐る
    人を恐るものは必ず人にへつらうものなり

以上、福沢諭吉の学問のすすめより

以下、自作
独立なきものは、人としての自由を失い
             誇りを失い
             生きる勇気とその意味を見失い
             時流に流され
             自分を見失う

             大地に根ざすものは、大地の大いなる生命力と
          大地の大いなる確かさと安堵を感じ
          自由と安らぎを取り戻し
          自分に還る

海も大地も遠く離れて行った人をじっと待っている
多くの仲間達も待っている
そこには、心からのやすらぎと平安があり、自由がある
人は生きる喜びと共に、孤立から解放され
  生きる意味を悟り、誇りを取り戻す
人間の、母なる大地や海への仕打ちは止まずとも
寛大なる母は辛抱つよく待っていてくれる
たぶんーーー

2014.1.27


  手仕事のすすめ

機械は人からものを遠ざける
触れ合う時間をへらし、隔たりを広げる
触れ合う感覚は時間に反比例し、距離の2乗に反比例するのか
ものの本質は近くで、ゆっくり見るに限る
もののよさは1つの見方だけではわからない
もののあり様も、そのものだけをみてもわからない

人の手は、ものの姿やあり様をかえる
ものは、人の心を映しながら形をかえる
でも、ものは均一なるもの、単一なるものを好まない
また、能率的、機械的なるものも嫌う

人の手によるものは1つとして同じものはない
ひとのこころが通い、みなあたたかい
つくり手は、人本来の時間を取り戻し
      人本来のこころを取り戻す
ものとの語らいは、人のあり様を教えてくれる

2014.1.27


    身土不二

土と身体は2つに非ず、同じもの
人のからだは生まれ育ったところの土で造られる
土は自然環境を含めた風土
人間は環境風土のなせる1つの造形、土人形
その造形に魂が宿ると”ひと”になるのか
”様々な土”から”様々な人”が生まれる
土と人は赤い糸で結ばれる
糸の切れたたこのようには生きられない

”様々な土”は ”様々な生き物たちの”生まれかわり
”様々な土”は "様々な過去と歴史”をもってうまれる

人間は、化学物質による人工的な”様々な土”の1つを造りだし
    自然破壊による”様々な土”も造り出す
その勢いはしばらく止まらない、止められない
”様々な土”は 確実に”様々な人”を造る
糸の切れた風船か増えてきた
先人達の、生きる知恵を大切にしたい

2014.1.27


  ”陸の孤島”ーー今むかし

その昔、交通の便の著しく悪い田舎の村を”陸の孤島”といった
私の生家、国東半島もそう呼ばれていた
たこの頭のように突き出た、その先端部の土地で生まれ、育った
孤島のお陰で、しばらくは静かな村でいられた
でも、今は都会の影が確実に忍び寄る
人工的なものの進入からはじまり
   最近は目に見えない情報という名の
        悪魔に侵食されてきている
空虚な”豊かさ”に右往左往しながら、流される
立ち止まって周りを見渡す時間も持てずに

都会は自然の時間でなく、人工的は時間で動く
自然はしなやかで、ゆっくり変わり
   人工的なものは脆く、変化が激しい
自然の変化は持続可能な循環であり    人工的な変化は不連続で、巡ることがない

昔の”陸の孤島”は孤立ではなかった
自然の循環の中にあり、多くの生き物たちとも確かに繋がっていた
都会は人工的なる輪の中にあるが、自然の営みの輪の外にある
生きる糧は外から運び込み
   必要なエネルギーだけ取り込み
   残りは外へ吐き出す
それは、人の生み出した、都合のいい、勝手な機械的な仕組み
都会ではその仕組みのなかでしか生きられない
人はなぜか、そんな都会、新たな”陸の孤島”に憧れる

2014.1.27


           畑

畑のなかに木立があり
木立の中に畑がある
畑のなかに草木があり
草木のなかに畑がある
木立があって、草木があって、畑がある
そして、畑があって、人がいる
人がいて、動物たちがいて、虫達もいる
虫達、鳥達、動物たちがいて、草木も生き延びる
草木があって、動物たちも生き延びる
人が生きていくための大切なつががり
勝手な境界は人を孤立させる

空には鳥や虫達がいる
土の上には植物や動物がいる
土の下には微生物や小さい昆虫、動物たちがいる
空を飛ぶ生き物たちは、土の上に生きる動植物に支えられ
土の上に生きる生き物は、土の下に生きる生き物に支えられる
地上、地中の小さな生き物たちのおかげで
   地上の植物、動物たちは生きていける
そして、地上の生き物たちは
   地上、地中の生き物たちをやしなう
大切なのは、生き物たちの支え合いと妙なるバランス
人のわがままは、共生とバランスを害し
   人を孤立させる

空を飛ぶ鳥達も土に還り
地上、地中の生き物たちもやがて土に還る
土は全ての生き物たちの安息の地
土は全ての生き物たちの命の源
全ての生き物たちは、母なる大地から生まれ
   慈悲深いお天道様に育ててもらう
全ての命は1つの循環の輪のなかにある
人間もその循環の輪の中の生き物の1つ
循環の輪から外れれば孤立する
孤立しては生きられない

2014.1.27


            畑

陽あたりのいい畑のなかに木が立っている
山桜、桑、けやき、合歓の木、柳まで
せっかくの暖かい春の陽射しを遮るように
春を待ちわび、若葉を繁らせ、春の陽射しを浴びる
でも、夏野菜の子供達にはおお迷惑
でも、木々たちは益々我が物顔で枝葉を伸ばし大きく育つ
それを見る私は木を切ろうかと思う
木を切るのは機械を使えばすぐ片がつく
”でも”という私がいる

夏の木陰は涼しくて、日陰の好きな草木が繁る
夏の強い陽射しから一時期、夏野菜をまもる
雨の少ない、干ばつの年には一層ありがたい

また、木々たちは花をさかせ、実もつける
鳥や虫達の憩いの場となり、彼らをやしなう
鳥や虫達は、人を癒すためにいるのではない
野菜を含めて、多くの植物、動物たちが
  生き延びていくために欠かせない存在

まだある
木々は秋になれば、一年分の成果を落ち葉として
  畑いっぱいにまき散らしてくれる
都会では落ち葉は邪魔者であるらしいが
畑の落ち葉は1年もたてば
  野菜を育てる大切な腐葉土に姿を変える
地中深くから養分を吸い上げ、地上に振りまく
人力ではとても及ばない、自然の循環を司る木々たち

するとやはり、木は切れない
年々畑は木に覆われる
すると、−−−−
の繰り返し。

2014.1.27


   コンニャク造り

あく(灰汁)の力は素晴らしい
廃油からせっけんを造り
春の山菜からはアクを抜く
変哲もないコンニャク芋も
あくの魔法で、おいしい刺身コンニャクに姿を変える
今に伝わるあくの不思議の1つ

親離れした、親指大の子供芋(生子、きご)
これを、2年、3年と植えつけて、収穫を繰り返す
干ばつや風雨に耐え
自然に鍛えられながら、大地で育つ
冬は暖かい倉庫の中で並んで冬休み
雨の少ない年は、水分の少ない小ぶりの芋に
雨の多い年は、水分の多い大き目の芋に
芋の水分の多少は、コンニャクの出来を左右する

コンニャク芋も、あく取りの木々もみんな違って個性的
コンニャク芋の水分の少ない、よく締まった芋はすぐれもの
木々のミネラル分の多い木もすぐれもの

コンニャク芋達にお伺いを立てながら
  煮て、ミキサーでねりつぶす
木々達にもお伺いを立てながら
  木灰からあくをつくる
木灰の中のミネラル分を熱湯で溶かし出し
その力を借りて、コンニャク芋のえぐみを抜き
歯ごたえのある刺身コンニャクに仕上げる
今に伝わる大切な食べ物の知恵に感謝

豆腐造りには海の塩から取ったニガリ
コンニャク造りには山の木から取ったあく
海のニガリも山のあくも
ミネラルたっぷりの似た味で
色も同じ琥珀色
畑と海、畑と山
この組み合わせの生み出す食べのもの妙
先人はどうしてこんな組み合わせを思いついたのか

遠い記憶のある、”砂おろし”
アルカリ食品大切さを今に伝える
これも先人達の知恵

2014.1.26


     石臼豆腐

今にに伝わる知恵と道具を生かして、大豆を豆腐に変える
石臼の力を借りて、大豆を挽き
木綿の規則正しい網目を借りて、生呉を絞り
薪釜の妙を借りて、生呉に火を通し
海のエキスの不思議を借りて、豆腐を寄せて
再び、木綿の強さを借りて、水を切り
すこし固めの豆腐を造る。

そのまま薬味をのせて、冷奴に
温めれば、やわらかい湯豆腐に
海のにがり由来のかすかな塩味と
大地で育った大豆の確かな香り
海と大地の見事な融和
大切にしたい、”わざ”と”知恵”


         石臼挽き、釜炊き豆腐

生家で雨ざらしになっていた石臼
おばあさんがそばや炒り大豆を挽いていた石臼
私はそのまわりで遊んでいたのか、手伝っていたのか
今は阿蘇の地で豆腐つくりに活躍している
まさか孫の代に出番があろうとは
おばさんも石臼も、私もおもわなかった
いや、石臼にとっては、何の事はなく
ただあり続けて、今ここにあるということだけなのかも
たぶん、50年なんか、ほんのちょっと前にしかすぎないのだから

石臼は固定した下臼と、回る上臼からなる
上臼の口から硬い粒を飲み込み
上下の噛みあわせですりつぶして
臼の外周から、細かい粉にして吐き出す
粗い粉にしたいときは、上下臼の隙間を大きくし
細かくしたいときは、隙間を小さくする
人は回るのを手助けするだけ
石臼は自分自身を擦りへらしながら硬い粒を粉にする
磨り減っても人がちょっと手を加えると蘇る
石臼は使い込むほどに手に馴染み、ひとになじむ
粉引きは人と臼の共同作業
コットン、コットンという音の響きは心地よい

綿の繊維をより合わせて糸をつくる
糸を編みあわせて布をつくる
線から、面へ、面から曲面、多面へ姿を変える
その度に新しい機能を備える
さらし布の規則正しい編み目とその強さを借りて生呉をしぼる
自然の布はどこか手触りがよく、心地よい
布が磨り減って役目を終えれば土に(自然に)かえる
化学繊維や金属はなんとなく冷たく
いつまでも自然に帰ることを拒む
灯油やガスの炎は青く、熱いのに、冷たい
人工的すぎるのかも
薪の炎はオレンジ色でなんとも温かい
釜で火を焚くと、炎の色と形は刻々、様々変わり
木の種類によっても違って、種々あっておもしろい
でも、使いこなすのはなかなか難しい
薪窯の炎の温かさは煮炊きする相手にも伝わる
それは、それを食する人にも伝わる
その温かさは、木の精の蘇りかも
そして、一巡して、また、自然に戻り、めぐる


2014.1.26


    黒ごま栽培

 6月下旬、梅雨明け前に、不耕起畑の表面を薄く削って柔らかい土を出す。
ごま粒同士が重ならないように種を降ろす。
わきの土をてですくい、ぱらぱらと種をおおう。
あとは、芽の出をじっと待つ。
ごまの芽よりも草に芽のほうが早く成長もはやい。
草の勢いを抑えながら、ごまの混んだところを間引く。
さらに、草取りしながら、雨を見計らって、ごまの植え替え。
途中から、ごまの勢いが、草の勢いを追い越す。
このあたりで、ごまの蕾がつき、ピンク色の花が咲き始める。
花は、下から上へ、秋の終わりごろまで咲き続ける。
一方で、下から上へ、実の入った鞘がつき始める。
鞘の中には、1.5cmくらい実が一列に、規則正しく積み重なり、
それが4方向に放射状に並んで成長する。
その実は秋口には枯れは色になり、上に口が開く。
この時期、まだ上のほうでは花が咲き、葉も緑色。
ごまの木は1m以上にもなり、数本に枝分れする。

下の方の鞘が枯れは色になったら、刈り取る。
みな一斉ではなく、速いものから。
刈り取った枝は、軒のあるところに、上向きに、
円錐状に立てかけて、1−2ヶ月乾燥する。
実がてっぺんまで枯れ、口を開いてから”しの”
。 しのは、大きなポリバケツの内面に枝を打ち当ててごまを落とす。
枯葉や茎、小さいな虫や何かが混ざって、ごま粒を回収する。

次は選別。まず、ごまを通す大きさのふるいを通して
大きなごみを取り除く。
次に、唐箕を使って、弱い風を送りながら、細かい、軽いゴミを除く。
次に、ごまを通さない、細かい網で細かい、重いゴミを除く。
次に、これを、布を張った、バラ(竹製の平らな干し道具)の上に
うすく広げて、日に当てる。
1−2日天気のいい日に干すと、乾燥と共に、小さい虫が這い出す。
天日に当て、まだ温かい内に一升瓶に入れてほ保存する。
一升瓶に入れておくと虫が来ない。
この1部を来年の種に、残りは食用に。

ごまは中近東が原産で、長い年月を経て、この地に伝来したらしい。
この地では、人の手が加わらなければ生き残れない。
ごまは滋養豊かで、大切な食べ物の1つ。
でも今は、食べる人も、作る人も少なくなった。
買った方が手っ取ばやいから。

そして、ごまの木を見かける事もなくなり、
    ごまの花や実を見る事もなく、
    ごまの木にくる虫達を見る事もない。
また、ごまのサラサラ流れる、心地よい音も聴くことがなく、
   ごまをバラで干す爽やかな風景を見る事もない。

さほど遠くない日、ごまも姿を消してしまうのだろうか。
     そして、ごまのあったことも、忘れ去られるのだろうか。

2014.1.26


                   消え行く百姓の手仕事
                  −−−七島イと畳おもて

  私の生家、国東では40年近く前まで七島イを栽培、加工して畳おもてを作り、販売していた。
今はもう、その頃と同じ工程で作業をしている姿は見受けられない。その作業工程は長く、換金には
約1年もかかる上、稲作同様、家族総出のきつい作業だった。でも、そこには全工程を通じて、様々な
手作業、道具の工夫と知恵があった。また、そこには、”いいものを納得いく形で作ろう”という
百姓の気概のようなものがあったと思う。それは、そこに生きる人たちのひたむきな生き方の現われ
だったのかも知れない。そんな畳おもての製造工程を、幼い目の、遠い記憶をたどりながら書き留め
てみた。

  最近、農産物の高付加価値化が謳われ、農業の6次産業化が進められようとしているが、この
畳おもての製造販売は正にそのものであった。しかし、作業効率の悪さと換金性の悪さゆえに、本来の
作業工程でのものつくりはほぼ消えてしまった。楽をして、金儲けしようとする社会の波は強烈では
あるけれども、そのために失ったものはだぶん、もう取り戻せない。
畳おもての製造工程は次の4工程よりなる。
1、七島イの栽培
2、七島イの仕納
3、いちびの栽培と縦糸より
4、畳おもて編みと仕上げ

1.七島イの栽培

  七島イはとくさ科に属し、生け花に使うとくさのように葉は先端にしかなく、茎が垂直に2m
くらい伸び、茎の断面は角の取れた三角形。大きさは鉛筆大かやや小さめ。
繁殖は種でも可能かも知れないが、生家では地下茎で増やし、それを株分けして、田植えの要領で
本田に移植していた。苗と取り用の田圃は、前年植えつけて刈り取った後の田をそのまま残して
おいて冬の初めに、その上に乾いた草やわらを敷いてこれに火をつけて燃やし、翌年の雑草の
発生を抑え、次の苗床としていた。これは、焼畑の要領と同じであり、翌年の春にはきれいな
七島イが芽を出す。すると、4−5月の田植え前にはこれが20cmくらいまで成長しており、
これを掘り返して、株分けしながら苗取りをする。植え付けの田圃は稲の田植えのときと同様で
あったと思う。田植え後は水を張り、2−3ヶ月で2m近くまで成長する。ちょうど梅雨明け
頃に仕納の時期を迎える。

2.七島イ仕納

  梅雨があけ、子供の夏休みが始まるころから、家族総出の大変な作業がはじまる。朝早くから
夜遅くまでのきつい作業がお盆のころまで約1ヶ月続いた。作業は、刈り取り、割き、干し、仕上げ
の4工程からなる。七島イの刈り作業は主に、祖母と母の担当で、毎朝4ころの暗いうちから。懐中
電灯を持って、朝飯も食べず出かけていた。作業は、刈り取って、短いものや変色した物をより分け、
一抱えする大きさで1束に結わう。子供のには容易に持ち上らない重さだったように思う。そんな
束を25−30束刈り取り、それを父が馬で4個か6個づづぱかぱかと300−400m離れた家まで
運ぶ。運んだ束は、刈り口が渇くと次の割きがやりにくいので、乾かないように水を打った蔵に立てて
あった。刈り取り作業は毎日10時か11時ころまで続いた。より分け時の不良品(くぜ)が少ない
ときは作業がはかどり、疲れも少なかったのだろう。

  次は七島イの”わき”の作業。”七島わき”といっていた。これはなんとも地道ならちのあかない、
面白くもない作業だった事を思い出す。七島イは干して、乾燥して、枯れ草色を出すが、丸のままでは
大きすぎて、夏の砂場でも1日では干し上らず、2つ割りにしなければならない。2つ割の方法は
簡単で、ピィーンと張ったピアノ線に七島を通して縦に2つ割りにする。問題はこれを1本づつ
やる事にある。ピアノ線に1本づつ通し、それを今度は5−6本づつ引っ張って2mののもを縦割り
する。途中で斜めにさけて、”かたそげ”にならないようにひくには要領がいった。うまくこなすのは
、なれない、気の短い子供には大変だった。

わきの作業には手作りの道具があった。生家ではだぶん祖父の手作りであったと思う。近所の家でも
同様の道具が使われていた。この道具は、上から見ると”ト”の字形をして、上の部分にピアノ線を
張る2つのポート(手前がやや低い)、下は両足を投げ出し、尻を降ろして重石とする部分。横の
腕部分の先に竹のぽんぽこを回転できるように取り付ける。作業は、まず、七島イをピアノ線に通し、
次に、左手でピアノ線に通った七島の上下面を軽く支え(片そげにならないように)、右手でゆっくり
5−6本づつ(ピアノ線に大きな負荷がかからないように注意して)水平に引っ張り、腕の長さくらい
までその要領で行き、それ以上は引けないので、そこで、竹のぽんぽこを迂回するように回して自分
の後ろ側に引くようにして、2m近くをわく。子供はまだ腕が短く、大人のようにはいかず、片そげ
が多く、よくおこられた。”急がなくてもいいから、確実にやれ”と。でも、それは、子供には
なかなか難しい注文だった。逆に、祖母の仕事はさすがに年季の入ったもので、今思い出しても
きれいなものだった。一定のリズムがあり、確実で、一山ごとに束ねるのも楽に、座ったまま作業が
できていた。子供の私の作業は、まず、一山できたら片そげを探して引き抜き、やり直し。次の
束ねる時には根元が乱雑、不揃いのため立ち上って何度も打ち据えて、揃え直し。そして、七島イ
の不良品を干して強くした”くぜ”というひもで結わくのも強く結わけず、何度のやり直して、何とか
持ち運べる程度で合格。今思えば懐かしい作業。
七島わきの作業はこういう具合で早くて夕方まで、遅い時(天気の悪い時)には夜9時くらいまで
家族総出で続いた。庭に皆で陣取り、裸電球1個で遠くに蚊よけの枯れ草をくすぶらせ、ナイターを
ききながら作業をしていた。当時は、クツワムシなどがうるさいくらいに鳴いていた。夕食はこの 作業が終わってからになり、疲れている割にはいつも質素な夕食だったようなきがする。

”わいた”七島イは翌朝、馬車に乗せて、もちろん馬で引いて、1kmさきの砂浜に運ぶ。よく朝
といっても、こちらも朝4時ごろからはじまる。当時の砂浜はひろく、七島イ農家も多かったが、
場所は充分あった。前もって区割りしてあり、そこに運び込んで干す作業が始まる。夏の太陽が
海から上る前には作業が終わる。日が照り始めると暑くて作業が大変。
作業は、両手で持てる量づつ小分けしながら、砂地の上に重ならないようにぱらぱらと干していく。
連日の疲れが取れない内に、早起きして、朝の体の硬い時間に腰を曲げて2時間近く黙々と作業を
続けるのはさどかし辛い仕事だったと思う。でも、当時は回りの多くの農家かこんな仕事をこなし
ていた。言葉にはしないが、互いに励ましあって何とかやっていたのかも。
砂浜に干すのは、天気の良い日には午後の3時ごろまで。短い昼ねをしてすぐ、暑い砂浜での作業が
はじまる。干したものを寄せるのは、ものも軽いし、きれいで気持ちよい。ただ、暑いだけ。
ただ、父親は、この寄せた、乾いた七島イを一握りづつ小分けして、根元についている”はかま”を、
用意した石に打ち付けて取り外す作業を夕方まで続ける。完全に乾いた七島イは簡単に折れやすいため
慣れのいる仕事のようだった。この作業はしたことがない。はかまを外し、一握りづつ束ねた、枯れ草
色の七島イが出来上がるとこれを蔵の2階の、乾燥したところに保管して”七島しの”が終わる。

 七島干しは干草作り以上に雨に気をつかう。雨に当たると変色が起き、価値が下がる。そのため、
ぱらぱらでも雨にあわせないために文字通り走り回った。午後夕立が来そうになると、昼食前であると
そのまま弁当にして、1kmくらいの道を皆で走った。大勢、それはもう先を争うようにして浜に
向かった。不幸にして夕立にあったときは皆、残念そうに帰っていくが、幸い夕立にならず済んだ時は
3時頃まで砂浜の木陰で皆で楽しく時を過ごした思い出がある。

 しのの作業には”結わう”作業が多いが、その紐には七島イの不良品を半乾きにした”くぜ”と
よばれる紐を使っていた。この紐はかなり丈夫で、それを撚って作った縄は薪を結わうのにも使えた。
また、これで作った草履は軽く、夏、砂場で履くのにはもってこいであった。使い古しのものは
もちろん、そそまましておけば土に返る。

3.”いちび”の栽培とその糸より

この作業は見ていただけなので詳しくは憶えていない。ともかく、市販の巻き糸の類ではなく、
自前で七島編み用の縦糸を調達しており、主にその仕事を祖母が、秋から冬にかけて担当していた。
正式な名称は定かではないが、”いちび”と言う名のケナフのような、麻の類の植物が栽培され、
その皮を利用して糸を編んでいた。春、畑にいちびの種をまき、夏には2m以上までも成長し、
これを秋口に刈り取って束ねてから、川の水に漬け込む。何日か漬けて、表面が腐ってきたころに
引き上げ、あるいは、川につかったまま皮を剥いでよく洗う。皮はぬるぬると簡単に剥がれてくる
ようだった。剥いだ皮をよく洗い、洗濯物を干す要領でよく乾燥させてから保存する。子供の頃には
このときの、皮を剥いだ後の、白い棒が欲しくてその作業の周りでうろうろしていた。何に使うか
と言うと”ちゃんばら”の棒にちょうど良かった。白くて、軽くて、割と真っ直ぐでかつ丈夫。
何本か腰に刺し、手にも1,2本持って走り回っていたような気がする。

この乾燥した皮を定量づつ水に侵して戻してから、糸よりの作業に取り掛かる。麦まきの終わった
あたりからの祖母仕事であった。まず、平包丁のちびたような金属片の着いたへらで皮表面の汚れを
こそげ落とす。特に根元に近い分部は丁寧に。それを長さ方法に順次つづけ、裏表きれいに仕上げる。
次に、金属の櫛刃が上向きについた道具、座った状態で固定できるようになったもので皮の根元
あたりから、櫛を通しながら、麻の繊維を、縦に細かく裂いていく。これも何度も繰り返しながら
全長に渡って、細かく細かく裂いていく。この頃合(作業を終える)はよく解らない。
次にこれに撚りを入れて一つながりの糸に撚っていく。糸よりは通常の糸紡ぎと同じ要領のようだった。
糸紡ぎ機は手作りか、市販品だったかは憶えていない。ただ、今思うと、カタコト、カタコト、
あまり作りのよくない音がしていた。祖母は、この作業を冬の日も、火の気のない薄暗い蔵の一角で
静かに続けていた。火の気をおかなかったのは、湿らせた糸の乾燥を防ぐためだったのかも知れない。
でも、見た目には寒そうで、”ばあさんはづいぶん辛抱強いなあ”と子供心に感心していた。
この縦糸つくりは春先まで続いていたと思う。この糸を使って、むしろ編みがはじまる。

4.畳表編みと仕上げ

  ごの作業も子供には難しく、両親の仕事だった。織り機ははじめ、足踏み、後、電動に変わった。
冬の間は外仕事も少なく、昼間と夜も機織の音がしていた。織りの縦糸はもちろん祖母の作ったもの。
横糸になる七島イは、乾燥、保存していたものを一度、水に浸し、水切りして、しなやかにしたものを
使う。畳おもての大きさの規格は知らないが、一定の大きさに織りあがると、縦糸を切断して、結びを
入れて出来上がる。1枚織るのに要する時間はどれくらいか。憶えていない。
次に、もう1工程、この編み終わった筵を日当たりの良いところを見計らって、片側数時間ずつ
日に当てて乾燥する。そして、まだ温かい内に、へちまや、わら縄を丸めたもので筵の片側づつを
ごしごしこすり、ひげ状のものや、変色部分を取り除く。この作業は子供でも出来る作業で、何回か
やった記憶がある。10枚近く、その両面をごしごしやると、それも、出来るだけ早くと急かされると
結構大変な作業だった。これで一応、、一連の作業が終わり、この筵を10枚、1組にしてまるめて
縛って売りに出す。定期的に近くの仲買さんがきて、品定めをして、売買が成立すると出荷していた。
40年前の記憶では、10枚、1組で1万円くらいだったように思うが確かではない。当時、国立
大学の1年間の授業料が1万2千円だった。筵の値段は高いか、やすいか。

  当時、働き手の主役であった父はもういないが、母は85で健在。この母は当時の苦労を今は
懐かしがっている。一番忙しくて、大変な時に大した食事もせずに家族総出で働いた記憶は、時を
経るといいおもいでになるものらしい。もし、今、”あの頃は大変だったね”と問えば、母は
たぶんこう答えると思う。”こいが、おいたちん、いのちじゃからのう”と。そこには、楽しい事も
苦しい事も、悲しい事も、一切を含めた、そこに生きる人たちの”いのちき”がある(あった)のだ
と思う。”いのちき”−−小さい時に教えてもらったいい言葉である。
会社勤めをしていた時、生家に帰ると、まず、会社の景気とかよりも、”達者だったか”
”いのちきはできよるか”と問われた。金儲けも確かに大事かもしれないけれども、本当は
もっと大事にしなければならないことのあることを、根っからの百姓は知っていた。 


2014.1.26


        2つの生命観ーー思わぬ類似性
               −−現在科学と道教思想

  地球上でのものとエネルギーの循環についてみていくと、人を含めた生き物たちの”生命”とは
何なのかという興味が湧いてくる。対象が漠然とし、かつ、壮大であるため、そこに神がかり的なものを
感じ、全ては神のなせる業として捉えがちになる。それで一応の納得はいくけれども、どこかに引っ
掛かりが残る。そんな折、偶然にも福岡伸一著”動的平衡”と、道教にある"気”についての入門書に
であった。結論を先に言えば、そこには、異なる視点から見た生命観であるにも関わらず、なんとも
明確な類似性が見て取れた。紀元前300−400年に生まれた道教思想にある考え方と、2000年
以上たって最新科学技術を駆使して得られた考え方に見られる類似性は、単なるマクロとミクロ的な
視点の相違だけを意味するものなのかも知れない。

  まず、分子生物学者福岡伸一氏の生命観、といっても、そのオリジナルは1940−1950年
ユダヤ系科学者シェーンハイマーの提唱した”動的な平衡”という考え方にあるらしい。福岡氏は
その考え方を解りやすく、また、新しい知見も含めて解説してくれている。その文章はわかり易いので
以下、ほぼそのままの形で引用する。
 ”生体を構成している分子は全て高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。
身体のあらゆる組織や細胞の中身は、こうして常に作りかえられ、更新され続けている。(中略)
従って、分子は環境からやってきて、一時、淀みとして私たちを作り出し、次の瞬間にはまた、
環境へと解き放たれていく。(中略)つまり、そこのあるのは流れそのものでしかない。その流れの
中で私達の身体は変わりつつ(動的、辛うじて一定の状態を保っている(平衡)。その流れ自体が
”生きている”ということであり、シェーンハイマーは生命のこの特異なあり様に”動的な平衡”
という素敵な名前を付けた。(中略)生命というシステムはその物質的構造基盤、つまり、構成分子
そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす”効果”なのである。” 以上、引用したように
氏の文章はわかりやすい。この"効果”という言葉を”現象”という言葉に置き換えると、次の道教に
おける生命観とうまく合致する。

  次にもう一方の、中国古代思想の1つである道教思想にある“気”に基ずく考え方から。
とは言っても、簡単にこの思想は理解できないので、これも主に入門書からの引用にとどめる。

(荘氏より)
   人の生は気の聚(あつま)れるになり
   聚れば即ち生となり
   散すれば即ち死となる

道教では大いなる宇宙を”気の流れ”として捉え、その”気”は集まったり、散じたりする。そして,
生命とはその”気”の流れのつくりだす”現象”の1つ(に過ぎない)。そして、”気”は人間世界も
天地自然も包含して大宇宙を流れ、めぐり、それが様々な現象を成り立たせている。この大宇宙を
めぐる”気の流れ”が命の根源であり、”気”は元の気(元気)から発し、元の気に戻る。元の気とは
カオス、渾沌にある。

  分子生物学の視点では、生命は”分子あるいは環境の流れの効果”として捉えられ、古代中国思想
の中では”気の流れ中にある1つの現象”として捉えられている。表現は異なるが、1つの生命現象を
ミクロとマクロの視点から見ただけのようなきがする、道教にいう”気”というものが、理解ではなく、
体得できるレベルになればもっとはっきりしてくるのかも知れない。

  そして、もう1つ両者の間に見られる共通した考え方は、”秩序と無秩序”、あるいは、”整然と
渾沌”、近代科学ではエントピーの減少と増加”という観点から生命現象を捉えるところにもみられる。
熱力学の法則に現れるエントロピーは無秩序さの度合いとか、渾沌さの度合いとして理解されるもので、
法則として、全ての自然現象はエントロピーの増加する方向に変化するというもの。
前述の、元の気の状態をカオスあるいは渾沌と表現したが、まさにこの状態がエントロピー最大の熱力学的
に安定な状態となる。気が集まり、生命が生まれ、身体という秩序が生まれると徐々にエントロピーは
減少していき、と同時に、エントロピー増大の法則に支配される。そして、身体の老化と共にその法則に
逆らえなくなり、一気に秩序の崩壊を招き、エントロピー最大の、はじめの状態(元の気)に戻る。つまり、
死に至る。動的平衡の福岡氏の表現では次のように表現されている。
”長い間、エントロピー増大の法則と追いかけっこをしていくうちに、少しずつ分子レベルでの損傷が
蓄積されていき、やがて、エントロピー増大に追い抜かれてしまう。つまり、秩序が保てなくなる時が
必ずくる。それが身体の死である。”さらに、同氏は、もう1つの流れをつぎのように指摘する.
”生命は自分の個体を生存させる事の関してはエゴイスティクに見えるけれども、すべての生き物は必ず
死ぬという実に利他的なシステムなのである。これによって、致命的な秩序の崩壊が起きる前に
動的平衡は別の個体に移行し、リセットされる。”この方法により、生命はその誕生以来30億年近くを
生き延びてきた。逆に言えば、それだけの長い歴史を経て、ようやく動的平衡という生命システムを作り
上げてきた。相田みつをさんの詩にあるように、”永遠の過去、永遠の未来、その間の一瞬を生きる私の
命”である。

分子生物学の世界は理解できるかどうかの世界であるけれども、もう一方の道教思想はそうはいかない。
道教の世界は理解する事よりも、感得、体得する以外にそれを知る方法はないようである。自意識を
消し去り、潜在意識が顔を出しやすくするような知的な訓練をして始めて、”気”なるものを感得できる
ようになるらしい。また、道教の思想は、その教えにあるように大宇宙の捉え方であり、近代科学の
ような部分の理解ではなく、捉えどころのないような全体を感得する思想と思われる。その意味合い
から言えば、今、眼に見える物質世界を包み込む形で、”気”という言葉で表現される、眼には
見えない、もう1つの世界が人知れず存在しているのかも知れない。

2013.12.12


    近くて遠いもう1つの世界
                      −−気なる”気”の世界

     前の文章で書いたように、気の世界というのは理解しようとして出来るものではないし、また、
現代科学を駆使した観察や分析で明らかに出来るものではないとは思うけれども、なんとも気になる。
福岡伸一氏の指摘するように、この気の世界こそ、部分に分けると益々解りにくい、迷路に入りこんで
しまいそうな気がする。そこをあえて、なんだかの筋道をつけながら、気の世界を空想してみた。それを
文章にしながら思ったことは、なんと今眼に見える物質世界の事象に似通った発想をしてしまうかという
こと。ある意味当然といえば当然で、表現に使う言葉が物質世界で生まれ、そこで進化してきたもの
である以上、その域を超えることはできない。気の世界を表現できる言葉のようなものがあればとは
思うが今は期待できない。

  上記のような言い訳をしながら、以下、前の文章をまとめながら空想した”気の世界”を表現してみる。
まず、原始の世界として、道教思想にあるカオス、渾沌の状態を想定する。空間は、各種高エネルギーの
電磁波や雷に支配された気体とエネルギーに満ち、絶えず流動する。生命の誕生の元となるアミノ酸の
形成もこのような状態でなされた可能性が指摘されている。アミノ酸がいくつか集合し、形を変えて細胞の
元を作った。この高エネルギー状態で、実はもう1つのエネルギー粒子のようなものができたのでは、という
のが私の空想の元。たぶん、アミノ酸形成よりずっと以前に起きはじめ、そうゆうC、H,O,Nよりなる化合物の
生成自体にも関与し、その後の単細胞からの進化にも影響を与えたかも。
そのエネルギー粒子のようなものとは、なんだかの形で内部にエネルギーを抱え、周りを気体状のもので
取り囲んでファーとした、見た目が粒子状のもの。物質世界の気体の様に流動性をもち、内部にエネルギー
を包含している。(物質世界の気体も化学結合エネルギーの形で内部エネルギーをもっている。)
この見かけ、粒子状のものが最小単位となって、大きな集合体を形成し、その状態であるときは流動性を
もった波動として、あるときは粒子性をもった塊として形を換え、時空を移動する。(光の持つ、粒子性と
波動性に類似)このような、物質世界の光の存在に相当するような、可変高エネルギー流動体(もちろん
眼には見えない)が、眼に見える物質世界を満たしているもかもしれない。そんな世界が”気の世界”かも
しれないと想像する。

  上記の、内部にエネルギーを内包したファーとした粒子状のものとして想像したものには、その原型が
あることに気がついた。それは原子。原子は、その内部に陽子と中性子からなる、高エネルギーを内包した
原子核をもち、その外側に電子雲とよばれる層(以前は電子の輪と表現されていた)をもって構成される。
電子雲は、静電エネルギーと運動エネルギーの最小となるように原子核に引き付けられ、原子核を守るように
それを取り囲み存在する。そのため、この構造を壊し、各要素ばらばらのプラズマ状態と呼ばれる状態にする
には、瞬間に相当大きなエネルギーを必要とする。正に、雷に打たれるような。つまり、そういう、一見
ファーとした塊でも内部に大きなエネルギーを内蔵できるということ。そして、その延長として、気の世界
というには、ある意味、エネルギーの世界とも言えるのかもしれない。気の流れを集めて、人の手の甲に
かざすと熱を感じたり、より気を集中して病の治療に利用したり出来る人がいるのはその1つの証かも
しれない。また、健康維持ためにの呼吸法に気をつけている人の話も聞くが、それも気の世界の持つ
エネルギーの効果を期待したものだろうし、まだまだ、その可能性は広がると思われる。

こう見てきても、まだまだ、既成概念から開放されておらず、本当の気の世界を感得するには道のり
はるかの感が否めない。

2013.12.14


       生物多様性はなぜ必要か
             ‐-身土不二からの考察

 生物多様性の必要性と、それを如何に守っていくか(次項で)について、食べ物作りに関わる1人
として考えてみた。多様性の重要性については、多くの方が色々の立場らか、これまた、様々な考え
を述べている。生物学的な共生と言う立場からは、”人の命は周りの多くの生き物達の命に支えられ
それらとの共生関係の上に成り立っている”とか、精神的な面では、”共に居ることで人に癒しと
安らぎを与えてくれる存在であり、それ無しでは人は生きられない”とか。また、単純には、種の
保存や遺伝子の多様性を守るためとか、単に、絶滅危惧種の増加を食い止めるためにとかである。
まだ日は浅いけれども、一百姓として考える時、大切なのは、”人は、周りの多くの生き物たちとの
共生と支えあいで生きていて、周りの生き物たちも互いに共生しながら、支えあって生きている”と
いう観点だと思う。そして、静かに、身近に起きている現実と、理想とのあまりに大きくなりすぎた
ギャップを自覚し、”今、何をなすべきか”を考えなければならない。

 人の命に直結する食べ物をつくる”農”のあり方について以前考察し、身土不二の考え方に基づく
食べ物作りの重要性とその方法について記した。ここでは、そのことに関連させて生物多様性の
必要性を考えてみたい。食の基本は”身土不二”と”医食同源”という2つの言葉で集約できると
思う。人が心身ともに健康で、穏やかに生きていくためには、まず、食べ物自体が健康で、穏やかに
育ったものでなければならない。以前の項で身土不二について考察し、健康に生きると言う事は
調、不調を繰り返す心身の平衡を保つということであり、その平衡を維持する役割をするものの
1つがミネラル(微量ミネラル)であろうという結論に達した。(もう1つはビタミンか)
ところが、最近の食べ物、特に野菜類に含まれるミネラルの種類と量、そしてそれらのバランスが
著しく低下、悪化して来ており、その主な原因が、近代農法による土の荒廃(質的荒廃)にある
ことがわかってきている。植物、そして、それを食す動物たちの体におけるミネラルの量と質的悪化
の原因の1つは確かに、植物の育つ土の中のミネラル環境を反映するものであるけれども、もう1つは
植物が土壌中のミネラル分を吸収しやすくする役割を果たしてきた微生物の種類と量の減少、さらに,
それらの活動度(活性)の低下が上げられる。ここでは、微生物で代表しているが、これは土壌中の
小動物を含む地中生活者といった意味。命を終えた植物や動物の有機体を活動のエネルギーにし
ながら、それらを再度、植物が吸収できる無機質まで分解してくれる微生物が減少し、その
活動も弱くなればもう植物はミネラル欠乏状態に陥るしかない。(土壌分析から不足ミネラルを
補う”ミネラル農法”もあるけれども、化学肥料の使用目的との類似性が気にかかる。)

土壌の質的荒廃はここ百年くらいの間に加速度的に進んだものであり、それまでは、土壌中のミネラルは
土ー植物ー動物ーそして再度、土という循環の中にあり、その量とバランスは程好く保たれてきた。
ところが、商品作物を大規模に作る単一栽培の形態になっために、それまでの循環の輪がほぼ完全に
断ち切られてしまった。これを元に戻すには、もう一度有機物を投入し、微生物を復活させると共に
その活動を活発化し、もう一度ミネラルをはじめとする物質循環の輪を取り戻すしかない。
その循環の輪を取り戻す手始めは、まず、ミネラルの質、量、バランスの良好な有機物を(植物由来の)
投入しなければならない。その有機物(植物)は当然、その近場で、身土不二に沿って健全に育った
物であるべきであり、その条件が満たされれば、そのを餌とする微生物たちも健全に、活発に活動できる。
すると、前述の土の荒廃の逆の現象を辿り、土壌中のミネラル環境は徐々に改善され、循環の輪が復活
し、結果として、生態系全体が豊かになる。

ここらで多様性の話に戻りたい。土壌微生物の役割と、人の腸内微生物の役割はよく似たものであり、
腸内環境では莫大で多様な微生物が存在し、それらが程好いバランスをとりながら人の健康を維持してる
らしいことがわかっている。土壌中でも同様と思われる。ここで、それらの微生物の側に立ってみると、
(前にも書いたが)その食べ物は、植物、動物由来の有機物であり、その食べ物自体が身土不二に沿って
できたもので、健全であってはじめて、当該微生物達の健全性と本来の活動が期待できる。そして、多様な
微生物であれば、その餌も当然多様なものになり、植物、動物の多様性が確保されなければならない。
多様な植物が多様な花や実をつけることのより、動物の世界の多様性を豊かにしている事はよくしられ
ている。また、この逆に多様な動物の存在によって、植物の多様性が維持される(種の保存とか)。
そして、大きな循環の輪を間断なく回していくためには、多様な微生物、植物、動物たちが必要であり
、 また、それらの活動を正しく維持していくためには、人に限らず、生き物全体に身土不二の考え方を
拡大する必要がある。

ここまでの話では、身土不二に沿った健全な生き方のためには生きものたちの多様性が欠かせず、一方では、
生き物の多様性を維持するためには、(生き物たちの)身土不二が欠かせない、という行ったり来たりの話
になってしまうけれども、本当は、生き物の命の健全な循環(単なる物質循環でなく)の輪の中で見ると、
1つの輪の中のどこを見るかの違いのような気がする。要約すると、生き物として健全な生き方を全う
するには、周りの生き物達との身土不二に沿った生き方と、それを支える生き物たちの多様性がどうしても
必要である、ということか。そして、それは、地中、地上を問わず、地球上の生き物たちの大きな命の
循環の輪を健全に、正しく維持していくために、どこかの、誰かさんが創造した大切な仕組みなのかも
しれない。この大きな、大切な仕組みを実際に動かすエネルギーの源はお天道様であり、このあたりに
誰かさんを探すヒントがあるのかもしれない。
それはさておき、永遠の過去から引き継いだ遺産である、豊かな自然を次の世代に何とかバトンタッチ
していくためには、生き物たちの多様性をこれ以上傷つけてはならない。


  日本科学技術省 食品成分分析調査

                  1951     2001    %<>br   ほうれん草   ビタミンA    8000      700   8.7%
          ビタミンC     150       35   23%
           鉄分       13         2   15%

  にんじん    ビタミンA   13500      1700   12.6%
          ビタミンC      10         4    40%
            鉄分       2        0.2    10%

  みかん     ビタミンA    2000        14    0.7%
          カルシュウム     29        16    55%
           鉄分        2         0.1   5%

  (一般に流通している野菜、九州の食卓、Vol.16,P23)

(2013.9.4)


           生物の多様性を守るために
               −−小さい農業の必要性

  前の項の結論を簡単にまとめると、”豊かな、健全な生態系(自然)を次世代に引き継ぐためには
生物多様性が欠かせない”ということになる。また、”健全な土は(身土不二に沿って育った)植物と
動物に由来し、健全に育った(身土不二に沿って育った)多様な動物は、健全に育った多様な植物に
由来する。そして、それら健全に育った多様な植物、動物は健全で豊かな土(自然)に還る。
生き物たちの多様性がこのまま失われ続けると、自然の豊かさは失われ、ひいては、人を含めた多くの
生き物たちの生命活動を危うくしていく。そなれば、次世代へ豊かな自然をバトンタッチするという
今を生きる人間の使命をも果たせない。では、どうすればいいのか。

規模の大きな機械化された近代農法に限らず、他の農法でも大型機械の導入や施設園芸化による規模の
拡大が進み、その方向での解決は望むべくもない。規模の拡大と効率化を目指した農業の集約化は
土の荒廃を助長するだけで生物の多様性の維持には逆効果である。では、進むべきはどういう方向か。
それは、100年前には普通に見られた”小さい自給的農業”の復活にある。家族の力で賄える広さで、
商品作物ではなく、自給目的の作物を主体とし、多種多様な野菜をつくる。もちろん、化学肥料や
農薬は使わず、機械も小さいもので最小限にとどめる。土つくりは、植物由来のものを主体として
できるだけ近くから調達し、そのまま敷きこむか、堆肥化して畑に入れる。もちろん、家庭からの
生ゴミ他も畑に戻す。化学肥料の出回る以前は、周囲の草や生ゴミ類では野菜の養分が足りず、周りの
山からその下草や落ち葉を集め、畑に運び込んでいたらしい。その時に、必要とした山の広さは
ちょうど畑の広さに相当したらしい。(山菜や薪の調達も含めて)つまり、毎年、畑の面積の倍の
面積の山を管理していた事になる。こうして、多くの小さい農家が地道に山の手入れをすること
により、畑は豊かになり、山もきれいになった。結果、整然とした里と里山が形作られてきた。

”生物多様性を守るためには”の結論は、まさにこの整然とした里と里山の復活にある。様々な
理由からの里山の荒廃については、日本各地で急激に進行している。

山や森というイメージからはそういう所の生物の多様性は豊かであろうと思われるけれども
、 人の介入しなくなった荒れた薄暗い森や、原始林まで相の変化した森では、むしろその多様性は
失われ、単純化の方向に向かうものらしい。多様性が維持され続けるためには、植物の多様性が
保たれ、地上では昆虫や小動物が集まり、地中では微生物達が活発に活動できる環境が必要である。
そんな環境を作り、維持できるのは考える力と精巧な身体をもつ人間だけであり、幸いにも、
人間の、食べ物をつくるという一連の作業の中に、上記のような貴重とも言える行為が含まれ
ている。生物の多様性を守ると言う明確な目的の有無は別にして、すでに上記のようなもの
作りを実践されている人々がいて、それぞれに情報を発信しているけれどもまだ、広がりは
小さい。

食料自給率の向上は農業の集約、大規模化ではなく、より多くの、小さい農業の復活に
その重きを置くべきと思う。その方向でしか、持続可能な形での生物多様性は守れないし、
また、もうすでにかなり進んでいる里と里山の荒廃を眼のあたりにすると、時間的な
余裕はあまりないような気がする。

里と里山の荒廃には何の努力も必要としないが、その復活と保全には時間と労力がかかる。
小規模自給的農業へ早急に方向転換し、できるだけ多くの人が、本来の価値観に戻り
(自給;自分の食べ物を自分で作る)、自然と共にあることに満足できる暮しを実現できる
よう、里と里山の復活と保全に取り組む体制が必要である。
そして、最後に、再度、生き物の多様性を守ることが、身土不二に沿った健全な生き方を
可能にするものであり、地球の生態系(自然)を支える(命の循環を正しく巡らせる)上での
大きな役割を担っている。

命の循環の輪を途切れさせてはならない。
次の世代へ引き継ぐべきものだから。

”里と森の危機”−−−暮らしの多様化への提言
 佐藤洋一郎、朝日新聞社、2005

(2013.9.10)


         日本、この資源豊かな国(2013.8.21)

"日本は資源の乏しい国であり、便利で豊かな国をつくるためには、外国から原料を輸入し、それを加工して
付加価値を付けて輸出して外貨を稼ぐと言う、いわゆる加工貿易立国にならねばならない”というふうに
学校で教わり、つい最近までそう信じてきた。そして、科学技術立国を目指した教育や社会システムに
それなりに順応し、何とか無難に数十年の会社勤めもこなしてきた。そして、その間、水俣をはじめ、その前後
で起きた公害の問題についても、工業化社会の発展にはつきものの事象くらいにしか認識していなかった。
また、それらの事件から何かを学ぶと言う積極的な姿勢もなかった。時間はいっぱいあったのに。

ところが、ここ阿蘇に来て百姓仕事を始めて10数年で、ものの見方、考え方が徐々に変わってきた。
つまり、”人が生きる”とはどういうことで、”どうあらねばならないか”という観点からものを見たり、
考えたりするようになった。そのお陰でこれまで経験してきた工業化社会(科学技術至上主義社会)の
あり様をはじめ、そのような社会もつ根源的ともいえる歪み、というより弊害に気がついた。もう、
これまでの路線の延長では持続可能な社会はありえない。そこで思い至ったフレーズが表題の”日本、
この資源豊かな国”。ここでの資源は、地下資源のような無味乾燥なものではなく、人の命の源である
緑の資源。

大小の動植物をはじめとする、地球上の生命体の生きるエネルギーの源は何か?それは、たぶん、太陽の
エネルギー。でも、動物の多くはそのままでは太陽のエネルギーを取り込めない。では、その太陽のエネルギーを
動物たちが使えるようにしてくれている中間体はなにか? それは、地球上で光合成をなしうる植物群であり、
また、一部の海の海藻類である。ものの本によれば、この方法で地球上に固定される太陽エネルギーは全体の3%
程度らしい。この3%程度のエネルギーを分け合って生きていけば地球上の生物体は皆、平和に暮らしていける。

ところが、地球上の人口は指数関数的に増加し、最近では70億にも達し、とても3%のエネルギー分では食糧、
つまりは、生きるエネルギーが賄えなくなり、過去に蓄積されたエネルギーに手を付けざるを得なくなった。
一説によれば、70億人もの人を養うには、今の地球があと1個半必要だとか。でも、人口はまだ増え続ける。
過去の蓄積エネルギーで最大のものはやはり”土”であり、次に石炭、石油、ガスといった、いわゆる化石燃料。
人に限って言えば、世界人口の70億人を養うには”土”のエネルギーだけでは間に合わず、大量の石油エネルギーに
依存しなければ生きられなくなっている。(家畜用飼料の栽培に如何に多くの石油エネルギーが消費されていることか)
まとめると、今の人の生き様は、毎年降りそそぐ太陽のエネルギー分では生きていく事ができず、過去の蓄えを消費
しながら(土の荒廃)、また、遠い昔の生き物達の蓄えた石炭、石油といった化石エネルギーを食いつぶしながら
生きているということになる。持続可能な生命圏を造るにはできるだけ早く、本来の姿に戻らなければならない。

動植物を含めた多くの生命たちが生き残るためには。 話を戻して、太陽エネルギーの3%という数字は小さいが元が莫大であり、そのエネルギー量は相当なものになる。
その3%のエネルギーを地球上の多くの生命体が使えるような形にして固定してくれているのが前述の植物、海草群
である。日本には、不幸にして、何箇所か大きな”都市砂漠”はあるが、まだ、山がちで緑が多く、緑豊かな
水田地帯も多い。また、海にも囲まれている。さらに、日本には四季があり、植物による太陽エネルギーの蓄積、循環
には好都合な気象条件にある。従って、日本という国は、”生きる”という根源的な観点に立てば、”今もって恵まれた
国”であり、”本当に資源豊かな国”であると言える。 しかし、早く、”生きる”という立ち位置に換えていかなければ
貴重な資源の消滅は加速度的に早まり、その時には、多くの人が警鐘を鳴らし続けているように、人を含めた多くの
生き物達の悲劇が待ち構えている事を覚悟しなければならない。

いくつかある古代都市の衰退、消滅の歴史の教えるところも、緑の減少、消失にある。もとは、原始林の生い茂る
緑豊かな、そして、大きな川が流れ、海にも近いところが都市として栄えた。しかし、やがて人口の増加につれて
豊かな原始林は利用されつくし、大きな川も姿を変え、河口付近の豊かな土壌も失われ、人が住めなくなって
しまった。それでも、遠い昔は世界の人口はせいぜい数万人であり、また次の新しい土地へ移動すると言う選択肢が
あった。しかし、今は人口70億人。地球上住めそうなところにはすでに人で溢れている。もう、逃げ場はない。
いまこそ、生きることの根本を見直し、今ある本当の資源を本気で守っていかなければならない。
間に合ううちに。



            物とエネルギーの循環(2013.8.21)

前の文章で太陽エネルギーの偉大さの一部分を考察してけれども、その本当の素晴らしさは、この地球上の生命体に
関わる”物とエネルギーの循環”の、そのまさに大元を担っていることにあるように思う。
結論から言うと次のようなことになる。
太陽エネルギーの一部は植物の光合成により、地球上に固定されると共に、光合成反応により炭素を固定する。そして、
この固定された炭素は有機化合物となり、生命体の形成とその維持をつかさどる。一方のエネルギーは生命体の生きる
エネルギーとなる。これはまさに、地球上での生命誕生の2大要素であり、この2つをえもいぬ巧妙さで結びつけ、多様な
生命体を生み、育んできた、なにか大きな存在を感じてしまう。その存在は生命誕生以来の多くの、そして、一連の
遺伝子のようなものを操作し、地球だけでなく、もっと大きな範囲での、ものとエネルギーのバランスのようなものを
とりながら、遠くから見守っている(時間的にも、距離的にも)。太陽が”お天道様”と言われてきた所以かもしれない。

先日、白鳥哲監督の”祈り”という映画をみる機会があった。その中で、眠れる遺伝子を”祈り”により呼び覚ます
(簡単に表現すると)ことができ、その"祈り”は時空を超えて発現するらしい。ついでに言えば、正しい”祈り”は
よい遺伝子の発現を促し、より良い地球環境を実現できる。そこで、みなさん、よい”祈り”をささげましょう、と
言う呼びかけと、どこそこでその、よい”祈り”の講習会のようなものがあるというご案内であった。
後段の話はさておき、だぶん、人間にも生命誕生以来の貴重な多くの遺伝子があり、その出番を待っているのかも
しれない。そして、その多くがお天道様の授けたものだとしたら一層、興味深いけれども、知る由もない。

表題の”物とエネルギーの循環”に関して、参考文献なしの私的な解釈を1つ。
光合成反応は1つの光化学反応であり、光のエネルギーにより炭素を同化して有機物を合成する生物過程。
多くの場合、生成物はでんぷん。
CO2+H2O+光エネルギー −−CH2O +O2
この反応による年間炭素固定量は約2*10の10乗トンで、現存する有機物の大部分を占める。

植物はまず、上記光合成反応ででんぷんという有機物を合成すると共に、でんぷんと言う化合物の形で
エネルギーを固定する。このでんぷんを原料にして、これに土から吸収した無機物(最近ではアミノ酸の
一部が直接吸収されるとのこと)を反応させてもう少し分子量の大きな複雑な有機物を合成し、これにより
植物体自体を形成する。この過程でもエネルギーの蓄積が起き、一部は根からの養分吸収や植物体維持の
エネルギーとして使われる。そして、この植物体を人間を含めた動物が取り込み、さらに分子量の大きな、
より複雑な有機物を作り出し、生命体を構成すると共に、より大きなエネルギーを蓄積する。この大きな
エネルギーで動物の生命活動が支えられ、生命体の形成と維持にも使われる。動き回る生命体の必要と
する有機物量とエネルギーの量は植物のそれらの数倍では収まらないかも。人の場合、精神活動だけでも
大きなエネルギーを要するらしいから。

そして、今度はこれらの有機体がどうやってもとの炭素源に戻っていくか。動物を構成する有機物の持つ,br> 化合物としてのエネルギーはその分解と酸化により、動物たちの生命エネルギーとなり、より簡単な有機物
となると共にCO2に変化する。さらに、この、より簡単化した有機物は小動物を経て、微生物群に取り込まれる。
もちろん、植物群も直接これらの微生物に取り込まれる。小動物や微生物たちも有機化合物の分解、酸化から
エネルギーをもらい、生命体を維持しながら、有機物を無機物へと分解していく。無機物まで分解できれば
植物は、これを次の生命体を形成するための養分として利用できる。そして、次の光合成反応を継続できる。

生物学者でもなく、このあたりの事はよく解らないけれども、たぶん、大筋では上記のような物質代謝と
エネルギー代謝を経て地球上のものとエネルギーの循環が起きているものと思う。ただ、エネルギー代謝の
中の多くの動物群から開放されるエネルギー(多くは熱Eか)の循環がいまひとつよく解らない。
以前の文章で生態系ピラミッドを紹介したが、今回の文章はそれをもう少し詳しくしたようなもの。


       ”農”のもう1つの楽しみ(2013.8.21)
            −−人の言葉を借りてーーー

渡部忠世著、”百年の食”−食べる、働く、命をつなぐ、小学館より

1。詩人、泉英昌”もっと、空の方に”より

  いつから働くことは毒になってしまったのか。皆、休みたがっている。
日曜日の夕方には、また明日からは仕事かとため息をついている。
休むと得をした気になって、働くと損をした気になっている。
少しだけ働いてたくさん金をもらいたいと思っている。それが出世だと思っている。
働く事は、金のためとか、生活のためとか、そういうことでもあるけれども、本当はそういうことでなくて、
働く事は善いことだった。
だましたり、殺したり、盗んだりすることの、一番反対側にあるのが働くことだった。
人は働く事でやっと清められた。


2.アランの幸福論より

  働く事はもっとも楽しいものであり、働く事はまた、もっともつらいものであった。自由に働くのはもっと
楽しいが、奴隷のように働くのはもっともつらい。
したがって、農業は自分の畑を耕すならば、もっとも楽しい仕事である。
仕事からその結果へ、また、はじめている仕事から次の仕事へと思いは絶えず前進していく。,br> さらに、いつも同じ畑で働けると言う保証があれば、もう儲けの方などどうでもよくなる。


3.松井浄蓮氏のことば
  戦後比叡山山麓で約4反の田畑を拓いて自給生活をし、終生、小農としての生涯を全うした。

 1)自然と自分は1つであると、このきわめて平凡な、今更言うてみるのもおろかしきこの言葉の持つ
内容が、今の人間社会に失われているところに何よりも第一の不幸がある。

 2)あらゆるものの再出発は、自分の食べるものは自分がつくるところからという、若しも他に向かって
これを言えば一笑に付されるであろうような素朴な考えを不動の信念として、世事一切に眼をつぶって親子
8人、自ら限定した面積、4反に鍬の柄を握り、ひたすらこのことに没頭した。ところがどうであろう。
全く今まで経験したこともないものが思想を超えて、理論を絶して、自分の五体の中に活発に生きてきた。
これをなんとも説明のしようもないが、強いていうてみるなら、まず第一に地球上、誰にも頼らず、
支えられずに生きているという確実感があった。大地に胡坐をかき、青天井を頭上に頂き、国内の喧騒と
世界の動揺とをじっと見ているという快感と、それに次ぐ感慨とがる。一体、自分は何に苦しんでいた
のかということで、このごろ極めて素朴な、それでいてややこしい言い回しになるが、それは、本当の
自分を探していたということにつきるようである。計らずも人の世の齢も晩年にあって土につき、
そこに自分の探していた自分がいたのである。

 --動物的なものと、宗教的なものとが相反した要求をもち、この2つの相克にも長い間苦しんだが、
土に立ってみてはじめて、この悩みの愚かであったことに気づき驚いている。この両者がいとも
健康なあり方を持って、相共に天賦の全機能を発揮してくれるのは土の上に於いてであることが
自得できた。自分はここで、長い事探していた自分を土の上でやっと見つけることができたが、
これをここでは、自我という呼び名に替えてみよう。そこで、”自我の完全掌握即土の上”という
合言葉が流行するようにならないものかと夢を描く。


以下、雑感。
  最近、農業を志す若い人が増えてるという話を聞く。私の畑にも見学者が時折訪れる。
その中には、都会での会社勤めが性に合わず、田舎で百姓でもしてのんびり暮らしたいという
人もいるようである。動機はどうであれ、田舎で暮らすのはいい事であり、大いに応援したい
と思う。しかし、一方で、上記のような”農”のもつ本当のよさにも気づいてほしい。
確かに、農業は楽しい事ばかりではなく、つらい肉体労働ばかりと言うときもある。それでも
続けていれば、それなりのものの収穫と同時に、精神的な、心の収穫もある。
だから見学者には、広範囲に商品作物をつくる慣行農業ではなく、小規模に自分の手の届く
範囲の自給農業を薦めている。金のかかる都会生活から、金のとれない田舎くらしへの転換は
大変とは思うけれども、生き方をかえるという基本的な考えを大事にすれば、可能だと思う。
若い人にはそれこそ多くの春秋があるのだから。

参考:津野幸人著
   ”小農本論”ーー誰が地球を守ったか
   ”小さい農業”−−山間地農村からの探求

   2冊とも、農山漁村文化協会、人間選書 156、188, 1991、1995


       こころの平安即土の上(2013.8.22)

  松井浄蓮氏のことばを借りて、表題を付けてみた。
なにか大事な事をなす時や、大事な決断を迫られている時、こころの平安、平穏さが大切である事を
感じてきた。しかし、”こころの平安”といっても、なんとも表現しにくく、ましてや文章には
できないだろうと思っていた。そんな折、ふと、では、ものを考える(思考する)部分と、どこに
あるのかも定かでない”こころ”の部分の2つに分けて表現してみてはどうだろうかと思いついた。
よく言われるように、寝て、思考の休憩している間に、こころの奥底にある本来の姿が夢になって
現れるのかもしれない。また、この逆に、起きて、思考が活発に働いている間は、いわゆる”こころ”
の発現は抑えられる。 思考ではなく、むしろ”こころ”の発現こそを大事に思うのは、その”こころ”
を通じて、通常は人間の5感では感知できない事象を感知し、また、人の本来持つ無垢な、純粋な
ものの見方ができる可能性が大きいと思うからである。さらに、希望的観測を言えば、その”こころ”
を通じて、他の多くの生き物達との交信が可能なのかも知れない。草花や大木と言葉を交わす事の
できる人の話を、絵本ばかりでなく、実話として読んだこともある。そんな”こころ”の大切さを
考えれば、大事な決断をしようとしたとき、いかに”こころ”の平安であることが大事かが理解
できる。

”煩雑さのあまりに、自分を見失う”とか、”自分探しの旅に出る”とか、”座禅の修行をして自分を
取り戻す”とか、苦しい時の神頼みに似て、行き詰るとこんな言葉が出始める。ここでの"自分”は
たぶん、”こころ”の意味。
では、どうして、いつ頃から思考が優勢になり、心の発現が劣勢に陥ったのか。生まれ出でて数年間は
たぶん”こころ”の発現が主で、思考はなりを潜めていたはず。その間は、言葉を持たず、感じたものを
そのまま受け入れるしかなかったから。言葉の表現はないが、感情はゆたかだったはず。この頃までは
回りの多くの生き物達の交信も可能だったかも。
そして、数歳になり、幼稚園、小学校と進み、高校卒業まで、凡そ12−14年間で言葉を覚え
、 それらを操って色々な表現を学び、また、多くの知識を仕入れ、蓄える。この作業をさらに、もう
4年間も続ける人たちもいる。この”言葉”と”知識”が”こころ”を覆い隠す、諸悪の根源となる。
それは、2つとも過去の、もうすでに経験済みのもので成り立ち、決して精確なもの、本来の姿を
表現できたものではないからである。かの、相田みつを氏の詩にも、”言葉は不完全なもの
だから、とりあえずやって見て、身体で感じてごらん”というものがある。さすがである。

では、その”こころ”を取り戻すにはどうすればいいか。上記の逆を進めばいい。簡単には。
しかし、十数年、人によっては20年近くも過去の遺産の中に安住し、しかも、現在進行形で
引きずるものがどんどん増えていっており、そう簡単にはスピンアウト出来そうにない。都市の
高度化、田舎の都市化、情報過多、社会不安の増加など、益々、ゆっくりものごとを整理して
考えるような時間はなくなってしまった。とは言っても、切実に自分回帰、つまりは本来の
”こころ”を取り戻そうと懸命に努力する人もいる。都市から田舎へ移り住んで、百姓仕事を
志す若者がいることは大きな救いである。若者に限らず、そういう人たちが増えれば、社会不安の
多くは解消できるような気がする。

前の文章でも書いたけれども、”土”で成り立つ”農”には不思議な力がある。
”心の平安即土の上”もその1つである。ただ、ここで言う"土”は、荒廃した無味乾燥な土の
ことではない。長い年月を経て、自然と土に返った腐葉土を豊かに含んだ、生命力に溢れた土の
ことである。そんな土の上にいると大きな安堵感に包まれる。たぶん、胎児が羊水の中で感じた
であろうような安堵感。人も、生命発生以来の多くの遺伝子を持っているらしい。その中の
いくつかの遺伝子がそんな環境の中で目覚めるのかも知れない。あるいは、長い歴史を経て
そこにある土にも同じような遺伝子が脈々と受け継がれていて、その遺伝子同士が共鳴し合って
発現してくるのかも知れない。さらには、その土から育つ植物達も同様な遺伝子を受け継ぎ、人の
遺伝子と共鳴出来るとしたら、なんとも広大な世界が見えてくる。人を取り巻く多くの生き物達と
自由に交信できる人がいても何の不思議もなくなる。もしそうなら、もっと多くを経験してみたい
ものである。

  百姓として、
  土から生まれ
  土と太陽に育まれ
  土と語らい
  土と親しみ
  土に還る
  百姓らしく


    2012年4月
今思う農のあり方

    “持続可能な農のあり方”について様々な考え方がある。
肥料、農薬、機械に頼らない自然農法もその1つとして注目されている。
確かに、それらの技術、農法(近代農法)に頼っていては、それらのものが入手不可能になったり、
土壌の劣化が進行すると物を作る手段が失われる。
つまりは、有限なものを当てにした農のあり方は持続可能ではない。
では、有限ではないもので成り立つ食べ物作りのあり方はどうあるべきか。
そして、その前提として、できる食べ物が人の健康に適するものであること。
畑仕事をしながら、こんなことを考えてきて、その結果、身土不二の大切さに気づき、また、
本来の姿とは遠く離れてしまった生態系ピラミッドの危うさを思い、さらに、仕事をする上では人間ほど高機能で、
しかも自己再生機能を備えたものはなく、その上、実質的には太陽エネルギーだけで作動できる、
この上なく省エネな生産手段であることにも気づいた。そして、その太陽エネルギーにつて言えば、
以前にも書いた通り、各人が生きている間に降り注ぐ太陽エネルギー分で生きていくことを基本とし、
過去の遺産には手をつけてはいけない。未来のために。

  昨年は相田みつをさんの詩に出会いました。
たまたま図書館で“うばい合えばたらぬ、わけ合えばあまる”というタイトルが目に留まり、
そのほかの詩集も読んでみました。
その中の1つを紹介します。

          永遠の過去
      永遠の未来
      その間の一瞬のいのち
      いまここに生きて
      あたらしき春に逢う
      ありがたきかな

“永遠の過去、永遠の未来”、この言葉の前では、どんな人もその存在の小ささを悟り、
あるべき謙虚さを取り戻すのではないでしょうか。そして、まさに、この立ち位置こそが“持続可能な農のあり方”
の基本であるべきと考えます。
“奪われし未来”とか、“奪われし未来の未来”とかいうような分厚い出版物が出るのは実に悲しいことです。
今を生きる人間の使命は、“永遠の過去”に思いを馳せ、その大切さを自覚し、感謝しながら、
その遺産ともいうべきものを“永遠の未来”に無事に引き継ぐことにある。20世紀入ってからの人口増加は驚異的であり、
すでに70億を超え、今の地球規模では養えず、地球があと1個欲しいという状況にある。一方では、砂漠化による耕地面積の減少、
さらには、近代農法による農耕地の疲弊という問題が取り立たされて久しい。
つまりは、残念ながらすでに多くの過去の遺産が食い潰されているのが現状である。
問題の1つは“まだ間に合うのか?”にあることも確か。
原発事故関連の本のタイトルに“まだ間に合うのなら”というのがありましたが、この思いに通じるところがある。
ただ、最悪、(人間が滅んでも)人間以外の生き物達には“永遠の未来”を残すのが人間たるもののせめてもの罪滅ぼしではないでしょうか。
他の生き物達には責任はなく(なすすべがなく)、彼らにとって地球は依然として永遠の楽園であり続けるべきものでしょうから。
出所と内容は定かではありませんが、こんな言葉が思い出されました。

       “天と地の間に立ちて、人間にできることはだだ1つ、共に生きるすべての生き物達がこころ安らかに生きられんことを祈ることだけ”

行き着く先はやはり、無為自然でしょうか。


  最後に、今思っている“持続可能な農のあり方”をまとめてみます。

1. 時空のうちの、時間の持続性
   過去の遺産を未来に引き継ぐ

2. 時空のうちの、空間の持続性
   逆転した文明社会のピラミッドと生態系のピラミッドを本来の形に戻す。
   物質循環の流れを破壊する都市、そして都市の肥大化による生態系の破壊は空間に連続している自然(土)の守られている
   農村部に悪影響を及ぼす。
   空間の持続性はこの逆に農村部(自然)を都市部に拡大、維持していかねばなりません。
これからの日本の人口減少、経済規模の縮小は人口の逆移動を促進し、望ましい方向へ向かうきっかけとなれば幸いである。

3. エネルギーの持続性 
太陽エネルギーの恩恵100%によるものづくり

4. もの(資材、資源、機械等)の持続性
  有限なものに頼らないものづくり。循環、再生可能な資材の使用

5. 人間を含めた生き物達との共生関係の持続性

6. “気の流れ”の持続性

  “気”については見ることも、触れることもできず(人間には)、不確かではあるけれども、
  人工的な物の進入や人による自然の撹乱、破壊、改造といった行為は植物達に何だかの影響を与えているような気がする。必要最小限に。
  他にもまだあるかも。

以下、相田みつをさんの詩を少し紹介します。

 “わけ合えば”

うばい合えば足らぬ
わけ合えばあまる
うばい合えばあらそい
わけ合えばやすらぎ

うばい合えばにくしみ
わけ合えばよろこび
うばい合えば不満
わけ合えば感謝

うばい合えば戦争
わけ合えば平和
うばい合えば地獄
わけ合えば極楽


  “いまここから”

いまここから
あしたはあてにならぬから 

以下タイトルがどこかへ行ってしまいましたが、

“アノネ、がんばらなくてもいいからさ、
具体的にうごくことだね“

“一とは原点、一とはじぶん”
そして最後は、なにがあっても、やさしく
“人間だもの”

“まだ 間に合うのなら”-私の書いた一番長い手紙 隔月刊誌 湧、1987年増刊号および2011新版、甘蔗珠恵子、地湧社


     1984年、竹熊先生の思いをもう一度

 竹熊先生というのは菊池養生園園長(現名誉園長?)をなされた方で医学博士でもあり、
医療に関わりながら農の大切さ、そしてそのための土の大切さを長く説いてこられました。
現在も御高齢をおして各地で土、農、医療の一環した取り組みへの啓蒙活動を続けておられます。
一度、阿蘇にこられた折、講演を拝聴しただけで特には面識はありませんが、昨年末、先生の3冊の本を読み返してみて
認識を新たにしましたので、ここにその核心部分を紹介します。
これは1984年4月23日開催の養生園祭のときの宣言文です。そのまま記します。

“人類がこの地球上にいのちを得てから、何百万年をへたであろうか。その間に我々の祖先の誰1人として、
病に、あるいは戦に若くして命を奪われることがなかった故に、その命の灯は消される事なく、
我々の肉体となってこの地球上に存在した。子供のいのちはまさに数百万年のいのちの先端。
もし不幸にして、その芽がつまれることになれば、歴史的ないのちのおわりとなる。
そのいのちの灯を受け継いだ我々は、戦争から、飢えから、公害から、そして、各個人の病気からいのちを
守っていかねばならぬ。そして、生きる知恵を次の世代に伝えなければならない。地球上の生物達は群れとなって
種族の繁栄をはかる。虫は虫なりに、植物は植物なりに、共存し生き延びている。人類は群れをなして、人類と自然のいのちを脅かす。
地球の大病、核戦争の危機と飢餓が進行しているが、もはやいのちは医療の次元では守れない。
我々のいのちは科学者と政治家に委ねられているとも言われている。地球は人類だけのものではない。
全生物の共有である。我々一人ひとりが人類の生存、そして、他の生き物達との共生を考えなくてはならないときが来たといえる。
来るべき21世紀に向かって我々は今何をなすべきか。

“米とかあちゃん”(粗末にするとバチかぶる)
平成3年1月5日第1版、 竹熊宣孝、家の光協会

“土からの医療―医者、百姓、そのめざすもの”
昭和54年7月10日第一刷、同上、株錘社

“鍬と聴診器―混迷する医、食、農を問う”
1981年2月10日、同上、株錘社




   科学技術の光と影

表題のようなタイトルで何か書いてみようと思ったのですが、
昨年の3.11による原発事故とその後の対応のお粗末さを目の当たりにし、
もうこれ以上何も書けないことを悟りました。大学で6年近く科学の一端を学び、
社会人としてさらに20年近く技術者を経験し、それなりに社会の役に立ってきたかなという思いもあったのですが、
やはり、影の部分を都合のいいように見ようとする、あるいは、できるだけ見ないで済ましてきた自分に気づきました。
以前、水俣病患者会の方の言葉を引用させてもらいましたが、今回の原発事故では、再度その言葉を思い出し、
その重みを感じています。
“工業はそのいれものがどんなにりっぱになっても、そこにひとの幸せのなかことには(価値は)ゼロですわな”といっておられました。
原発事故の影響は規模こそ違え、水俣はじめ各地の公害問題と根っこは同じであり、経済優先、人権無視の結果でしょう。
放射能被爆、放射能汚染に対する東電、国の補償問題とその処理の仕方もこれまでの公害問題のときとなんだかわっていない。
そして、結局最後は時間の経過をいいことに自己責任にすり替えてことをすます。
水俣病語り部の人の中に、こんなことを言っている人(当人も患者であり、両親も失っている)がいました。
ラジオからですが、“今は、私はだれも憎んだりしていません。ただ、自分が、自分の身近くでおきていることに無知であったことに
悔いが残ります。” たぶんその思いから語り部を続けられたのだろうと推測します。その方は数年前に他界されました。
水俣病確認からでもすでに60年近く。その間特定の相手を憎み続ける事の虚しさに疲れ果て、自分なりの悟りとでもいうべきものを
えられたのではと思います。放射能による災害はいま始まったばかり。他にも電磁波、農薬、食品添加物、海では水銀、PCBほかの
化学物質汚染。どれも豊かさを求めて発展してきた科学技術の産物ばかり。放射能をはじめとしてこれらの人工物質とは人間は当分共生
できない。たぶん500年から1000年は(遺伝的な適応を考慮すると)。 とするとその間、人間は病み続けることになる。
それまで人類が持ちこたえればいいが。

”文明の進歩は人類滅亡への一歩である“とは誰かのことば。
科学技術に頼らざるを得ない複雑な社会を作り上げ、今その大きな壁にむかって右往左往、
さて、これまでの貴重な教訓をどう生かすか。



2011年1月No.3
恩送り と 人為自然

  前の『たもつ二言三言』2011年1月No.1で“無為自然”という言葉を使っていて、ふいに“人為自然”という言葉も
どこかで見かけたことを思い出しました。無為が人為の反対ではなくて、ただ人が手を出すか、
出さないか、の違いのようなことでした。広葉樹の林に見られる豊かな腐葉土に習って、人が
山から落ち葉を集めて、それを積み上げ、堆肥化し、何年かこれを繰り返して数cmの腐
葉土をつくる。また、植林、全伐後の荒れ山を広葉樹の山に戻すためにその苗木を植える、
といったことが人為自然の範疇だと思います。

   その人為自然と恩送りということばは一見何の関連もなさそうなのですが、私の中でなん
となく響きあうものがありました。“恩送り”という言葉をはじめて聴いたのはラジオからでした。
旅先で見知らぬ人に助けられことを、その人でない近くの人に恩返しする。その恩返しを受
けた人はまた次の人にそれとなく恩返しする。そういう助け合いの環ができるとすばらしいで
すね、といった内容でした。響きあうものがあったのは、自然と人の付き合い方もまさにこの
“恩送り”の言葉がぴったりだと気づいたからだと思います。

   “恩”というと“鶴の恩返し”のような恩が代表的だし、感謝という言葉からは両親や親族、
そして有形、無形な形でのお天道様あたりまで。しかし、もっと根源的には人のいのちを生み、
育ててくれている大地、つまり土に感謝ではないでしょうか。有史以来、あるいは太古の昔か
ら営々と生物の生き死にを繰り返し、いのちの循環を静かにそして絶え間なく巡らせて今に
至り、今のいのちを養っている。養ってもらっているのは“人間”だけでなく、今を生きる
すべての生き物達。従って、今を生きるものたちは当然、次のものたちを養う、何だかの糧
になる。“土”はその機能と大きさからいって、なんとも広大無辺な存在という感じがする。
そんな大地を受け継ぎながら、つくる作物の出来がよくないと“土が悪い”といっては化学肥料をいれ、
機械で土をかき回す。よく考えると、何のことはなく、そこの土の養える以上の人の食
べ物を無理やり取ろうとしているだけ。そして、その流れの行き着く先は、土を道具と考え、
、 人が利用するためにあるもので、人為的に如何様にも変えられる、あるいは変えてもいい
ものとの思いから、今のような効率優先の、いわゆる近代農法が栄え、生き物が住めない、
名ばかりの土が残される。土への感謝を忘れ、貴重な遺産である豊かな大地を荒廃させ
ながら、一方で人のこころの荒廃も進んでいるのかも。この逆かもしれませんが。

    自然、そしてその礎となる土への感謝、そして次の世代への恩送りを具体的に実践
できる最適な場所にいるのが農業に従事する人々。言い換えれば、生きること、生かしても
らっていることへの感謝を直に感じることのできる仕事が農業であり、そこに携わる人に与えら
れた特権であり、大きな恩恵のようにおもわれる。ただ、多くの商業目的の近代農業は方向
が違いますが、、、。

   ここで冒頭に述べたような人為自然のなせる範囲の、小規模な自給的農法が
1つの重要な恩送りの方法として大切であることに気づきます。食べ物を作る畑の土の
現状を見るとき、単に現状を維持することでは間に合わず、多くの人為をなして農業
の近代化の起きる前の豊かな畑、土に戻さねばならないことがわかります。できるだけ機械
には頼らないで。広葉樹の林でも毎年できる腐葉土の厚さはせいぜい0.3mm位の微々たる
ものです。その腐葉土の層を壊してしまった、あるいは、その層の養分を使い尽くした土を元に
戻すにはどうするかです。言ってみれば、これまでの貴重な遺産を使いきり、“さあどうしてもと
に戻そうか“という感じ。ここで人にできることは自然を見習って地道に腐葉土を作って土の
再生につなげていくことしかありません。農業近代化前の小規模有畜農業といわれていた
頃にはこの地道な仕事が黙々と続けられていたことを思えば、あとはやる人の考え方次第。
その考え方の1つが“恩送り”ではないでしょうか。

    以下は“木を植えましょう”という本からの引用です。p68
約50年前、白人から居住地を奪われた先住民のインディアンの酋長が当時のアメリカ大統領に
宛てた手紙の一部です。
“われわれは大地の一部であり、大地はわれわれの一部だ。香り高い花々はわれわれの姉妹であり、
鹿や馬や鷲も、温かいポニーのからだも、そして人間も、みなひとつのおなじ家族に属している。
 大地に唾を吐くことは、自分自身に唾をはきかけることだ。われわれは知っている、大地が
人間のものではなく、人間が大地のものであることを。われわれは知っている、すべの存在が
つながり合っていることを。大地にふりかかることはすべて大地の子らにふりかかる。人間が生命
の織物を織ったのではなく、人間は織物のなかの1本の糸であるにすぎない。人間が織物に
なすことは、すべて自分自身になしているのだ。“



2011年1月No.2
  文明社会のピラミッド

              今回のテーマは“高度に発達した日本の文明社会のいくすえは、、、?”です。
農業を生業とする傍ら短歌をつくり、評論活動をしながら、“持続可能な生態系はいかにあるべきか“を
考察した人がいます。田中佳宏さんという人で、その方の著した”食うー百姓のエコロジー“の中にその
生態系ピラミッドが説明されています。そのピラミッドの基底部は分解者である土からなり、先端部は
消費者である動物からなり、その中間部分は生産者である植物よりなる。そして著者の説明には“動物の
質量は植物に規定され、植物の質量は土に規定される。動物も植物も土から生まれ、土に分解される。”と
あります。自然界ではこれらの規定が自ずと守られ、有史以来の貴重な生態系がごく最近まで大切に引き
継がれてきた。ごく最近までというのは、ここ100年近い間に様変わりしたところが多いからです。

   田中さんは同時に、“文明社会のピラミッド”も提唱されています。この基底部は分解者である
自然―生態系であり、先端部は消費者である都会、そしてその中間部分は生産者である農村―半自然よりなる。
その説明には“都会の大きさは農耕地の質量に規定され、農耕地の広さは自然に規定される。―――都会が
吐き出すものは、自然によって分解される質量でなければ、このピラミッドは成り立たない。地球は潰れる。“と
あります。これは田中さんの説ですが、持続可能な文明社会のあり方をわかりやすく示し、説得力があります。

   翻って日本の現状を見てみると、1950年代後半から上記の文明社会のピラミッドの形がなんとも
いびつなものになり始め、最近では頭でっかちで、中すぼみな、キノコ雲でも思わせるような状況にあります。
文明の近代化の名の下に産業構造が一変し、都市への急激な人口流入、農村の過疎化、そして、その近代化の
もとで、人工的かつ不可逆的につくり出されてた産業廃棄物の山―土では処理できないものの山。
上記田中さんの著書は1996年初版のものですが、それから15年たった今もその傾向は変わらず、
わずかにそのひずみに気がつき始めた人がいるのみで、経済成長路線に変更は見られません。大量消費を
可能にする都市に基盤をおく企業社会の力が強すぎて、静かに自然を見つめ、本来のあるべき姿を提唱する
農業者からの意見はなかなか世の中に受け入れられないのかも知れません。

   今こんなことを書いている私も10年近く前までは科学技術至上を信じ、豊かな工業社会の実現の
一助にと会社組織の中で約20年間働いてきました。当時の日本は加工貿易立国を目指し、工業最優先、
農業は2の次、3の次といった状況でした。日本の非効率な農業生産を止めにして、安い外国の食糧を
輸入すればいいという、まさにこの考え方をしていました。自分自身が農家に生まれ、育ったというのに。
そして、10年前、ここ阿蘇に移り住み、“自分達の食べるものは自分達作る”という方針で半自給的な
生活をしていく中で、実にさまざまな事柄に気づかされました。田中さんの本も実はここに来る前に東京の
本屋で購入し、一度目を通していましたが、その意味するところの重要性に気がつきませんでした。
そして、最近、なんとなくですが、この本を読み返してみたくなり、この本ともう1つ持っていた
、田中さんの著書“百姓の一筆――耕さずに食うみなさまがたへ”、そして、星寛治著の“農からの発想”を
あわせて読んでみました。そして驚いたのは“共感できるところがなんと多いことか”ということです。
これまで漠然と捉えていた事柄がなんとも明確に記述されていたからです。上記2書の初版の出版は前者が
1992年、後者は1994年です。私の舌足らずな文章ではなく、是非これらの著書を参考に、
いびつになった文明社会のピラミッドを建て直すべく、ひとりでも多くの方が日本の現状を変えるための
具体的な行動を起こしてくれることを期待します。次の世代へ引き継ぐために。

   最近、以前、携わっていた分野に関して“科学技術とは何か”、“本来の科学技術はどうあるべきなのか”
というようなことを考えるようにもなりました。上記の異常な文明社会のピラミッドの形を持ち出すまでもなく、
あまりにも大きくなりすぎた都市の存在、経済至上主義の工業社会の行方、そして、いのちの源である食の
海外依存のような身近な問題がその根底にあります
。 静かで、穏やか過ぎる、ここ阿蘇の山里での生活は科学技術云々とは程遠いものですが、、これからの1年、
所謂、徒然れなるままにそんなことも頭の隅において考えてみようかと思います。

   最後に、水俣病患者会の、ある世話役老人の声をそのまま引用します。
          ―――水俣学講義第2集、p88よりーーー

  “工業の施設ばっかり大きくなったところで、人間の幸せのなかことにゃあ、工業もゼロでごわすな。
そいでやっぱ、何にしても人間の幸せが大事と思いますな“

  もう1つ、同じ本から。水俣病患者が政府側と面会し、政府の水俣における長年の人権無視を指摘した際の
担当者の言、このときの担当者は後の橋本龍太郎首相。

“政府が今日まで国民の生命を尊重しなかったことがあるか、今の言葉を取り消せ”

この時点で発病からすでに20年近くたっており、それでも国と企業は責任を認めず、長年患者の人権無視を
続けてきておきながら、この発言。会場に居合わせた患者、マスコミ関係者はしばし茫然の呈だったそうです。
経済至上主義の行き着く先は恐いものです。




    2011年1月No.1
人の生き方としての“無為自然”

  私の百姓仕事は自給目的であり、比較的のんびりしている。そのお陰で徒にもつかないことを考える余裕がある。
”自然とは“、”人とは何もので、どう生きるべきなのか“といったことを畑仕事をしながら考える。
しばらくして、”これらの答えは1つではなく、時の経過、年を重ねるごとに変わるものなのでは“という思いに行き当たった。
だから、とりあえずの記録として、今の思いを言葉で表現してみることにした。
人という一般論ではなく、自分はどう生きるべきかという具体的な問いかけに答えるのはなかなか難しい。
そこで”自分は今何をなすべきか“に問いを変えるとその答えらしきものが見えてくる。
現状といつても自然環境と、農業をはじめとする1次産業に関する限られた範囲の現状把握ではあるけれども、
これらはいずれも人のいのちを支える必要欠くべからざるものである。


  ここ50年来の変化で見ても、農業は小規模な自給作物主体の生産から、大規模な商品作物主体の生産に変わり、
その結果、土の荒廃が進み、これまでの長い歴史の中で培われた大切な遺産が失われた。
一方、科学技術を頼りにした急激な工業化とそれに伴う1次産業の衰退、その一方での都市の出現とその巨大化。
この急激な都市化により、それまでの食糧生産、消費、そして再生を司ってきた自然生態系の微妙なバランスが壊されてしまった。
土はすべてのいのちの循環を司る源であり、それを台無しにしたままではひとの未来はおぼつかない。
本の題目には“奪われし未来”とか“奪われし未来の未来”という警告を発するものもあり、次世代そしてその次の世代までも危うい。
このままでは。

  こんな自分なりの総括をしながら思ったことは、人の生き方は何かをしなければという使命感に似た大それたものではなく、
前の世代から引き継いだ環境を次の世代へ滞りなく、うまく引き継ぐことにあるのではないか、ということ。
有史以来の貴重な遺産を引き継ぎながら、もっと楽に、もっと豊かにという果てしない欲張り根性からせっかくの未来を失おうと
しているのだから。そんなことを考えている折、アイヌに伝わるこんな言葉に出会った。
”森で暮らす人は森の利子で生活しなければならない。決して、元本に手をつけてはならない“。 
元本とは先祖から引き継いだ豊かな自然であり、利子とは日々降り注ぐ太陽のエネルギーによる恵みを意味し、
生きている間はその恵みで生かしてもらう。それ以上の物質的な豊かさは望まない。
この言葉は、 正木高志著“木を植えましょう”p71から引用。


  今回の題目にある”無為自然“という言葉は、自然農法を提唱した福岡正信さんの著書にあった言葉です。
土で育つ食べ物は人が育てるのではなく、自然が育ててくれる。人はだだその手助けするだけ。
余計なことをしてはいけないということ。その本を読んで10年以上たった今、この言葉の意味するところは、
単に、食べ物作りの1つの考え方あるいは方法を示してくれたのではなく、人としての生き方、
哲学を示唆するものであったと気づきました。
人間の浅知恵でことを始めると、ろくなことにならないという1つの戒めの言葉かも知れません。

  アイヌの言い伝えや先人の言葉を都合よく引用するつもりはないけれども、
自分の考え方をより鮮明に表現するために使わせてもらいました。私の当初の表現は、
“自分の生まれたときの自然環境をできるだけ変えずに次の世代にバトンタッチする”でした。
そして、そのために、今、自分のやるべきことは何か、出来ることは何か、を自問自答してきました。
人が安心して、豊かに暮らせるようにと、先人達のなした自然への多くの働きかけが、意に反して、現状の自然破壊、
生物多様性の危機をもたらしてしまったことへの反省を含めて。

  もうすぐに還暦を迎えようとしていることをしばし忘れて考えてみました。
生まれ育った地は当時陸の孤島と揶揄されていましたが、今は丘の上に工場やゴルフ場、そして海辺にはし尿処理場ができ、
また、川はよどみ、山は藪だらけの状態です。
本来なら、生まれ育ったその地の再生に取り組むべき、また、取り組みたいところですが、終世の住処として、
ここ阿蘇の地を選んだ縁から、代わりに、この地のご先祖様が大事にしてきた山をできる範囲で手入れしておこうと思います。
取り組みは昨年から始めていますが、本格的には今年からです。
来年には自分のところを含めて五町歩、100m・500m、くらいの広さになります。
実はそのほかにも歩いていけるところに4町歩近い荒れ山がありますが、こちらまでは無理かも。
山は生物多様性の宝庫とか、肥沃な土を生み出すいのちの循環の場ともいわれ、言葉の上ではこの上なく大事にされていますが、
実際の山は荒れ放題です。そして、1人、2人の人の力ではどうしようもないくらい大きな存在です。
この地に、私の生まれた当時に植えられた杉は、今では手も回らないほどに大きくなり、山に行くたび“たいしたもんだ”と感心し、
ポンポンと手を打ち当ててあいさつしています。畑の手入れをしながらも多くのことを教えられましたが、
同様に、山の手入れも自分に貴重な何かを教えてくれるかも知れません。楽しみです。


 終わりに童話を1つ。山火事に会ったハチドリ、蜂のように小さい鳥の話。

山火事に会い、多くの動物達が我先に逃げ惑う中、
1羽のハチドリが火を消そうと、小さなくちばしで懸命に水を運んでいました。
それを見た他の動物が“なにを無駄なことをしているのか”と問いました。
ハチドリは答えました。
「ただ。私は。自分にできることをしているだけ」


 金子みすず童話集より詩を1つ。

“星とたんぽぽ”より

青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は目に見えぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものもあるんだよ。









2010年1月
身土不二から見えてくる野菜作り

  ここしばらく自分の考えをまとめたり、それを表現する作業から遠ざかっていました。
久しぶりの挑戦です。今回は、身土不二とその考えに基づくもの作りのあり方を、今の時点での
考えとしてまとめてみました。

身土不二とは、自分の生まれ育った所から3−4里(約12-16km)四方で採れたものを食べて
いれば人は健康に、元気に生きられるというものですが、最近は地産地消という軽い意味にも使われて
いるようです。でも、この言葉の本来意味するところはもっと深い所にあるように思えてなりません。
身土不二という言葉は、ここ阿蘇に来る前に本で知ったくらいで、特に注意を引くような言葉ではあり
ませんでした。ところが、ここ数年、色々の農法が出てくる中で、”そもそも物つくりの基本はどうあ
るべきなのか”という疑問がわいてきました。その答えの1つをこの身土不二という言葉が暗示してくれて
いるような気がしてきました。そこで、自分なりですが、この言葉の意味をもう一度掘り起こして考えて
みました。

まず、”どうして、自分の生まれたところに近い土地で採れたものを食べていれば元気で生きられるのか”。
”生まれたところに近い土地でとれたもの”、これは、野菜他のたべものとそれを食べる人の生まれ、
育った土が同じということ。そして、”それを食べていれば元気に生きられる”というのは、そういう
食により、人の乱れた気を元に戻し、整えて、元気にするということ。ここまででは、まだ”土”と”元気”
のつながりが不鮮明です。”土”の何が、あるいは、どこが、かが、人の元気、健康の維持と結びついている
らしいことが見えてきます。

雑草の力強さ、そしてそれらを食する効果について徐々に知識を仕入れてきましたが、そこで注目されて
いたのも、このミネラルでした。雑草のもつ豊富なミネラル、そして、そのバランスの良さは、最近の野菜には
見られない豊かなものです。ミネラルといっても、そのごく一部ですが、その、人の心体に与える効果、影響
について知ることができます。もう1つは、”土”のもつ地域性です。地域、場所ごとに土の構成成分の種類
量、バランスは異なるはずです。その中のミネラルに関しても。従って、前記の関係を考察すには、各地に住む
人のこれまでの長い歴史、つまりは、それぞれのミネラル環境で元気に生きるための遺伝的継承の考慮が必要だ
と思います。つまり、人は、長い歴史を経て、それぞれの土地のミネラル環境に適応できるように遺伝情報を
受け継ぎ、現在に至っているということ。水道が普及する以前には、遠くへ移り住む人に、”水が変わるから体に
気をつけて”と声をかけていたことを思い出します。井戸水は、地中深くから湧き出す、ミネラル豊富な水であれば
当然です。人の行き来きが広範囲になった今は、この”水”に”土”を加えて、気をつける必要があると思います。

ミネラルの心体に与える影響、効果については限れれた資料しか持ちませんが、その一部を記してみます。
これは、現在豆腐つくりに使用してるニガリの製造もとからの資料の一部です。

     ミネラル名     主な働き               不足するとーーー  
   マグネシュウム   カルシュウムの吸収を助ける       心臓や筋肉が弱る 
             神経や筋肉の収縮を助ける        動脈硬化になる  

   カルシュウム    骨や歯をつくる             骨や歯が弱くなる  
             心臓、神経の働きを調整する       イライラする    

   ナトリウム     筋肉、神経の働きを調節する       摂り過ぎると高血圧
             体液のバランスを調節する                   

   鉄         血液中の酸素を運ぶ           貧血になる     

   マンガン      骨の生成を促進する           骨の成長が遅れる  

   イオウ       たんぱく質を合成する          皮膚、爪が弱くなる 

   このほか、K,P,Zn,Cu,Se,Iなど 

   また、これらのミネラルは単独ではうまく機能できず、他との協働が重要で、たとえば、Mg不足状態で
Caを摂っても体に吸収されない。 従って、それらの種類や量のほかにそのバランスが特に重要で、ほんの
僅かのミネラルの過不足でもそのバランスがくずれると、心体の病気の原因となるとのこと。

一方、”元気”の”気”については、分析もできず、ミネラルよりさらに分かりにくいですが、人の体の調子を
左右するものと捉えると、それはいつも安定したものではなく、絶えずいろいろな方向に振れているけれども、
何かが、それを元の状態に引き戻そうとする。その何かが、うまく働かないと人の体がうまく機能しなくなる。
その何かの重要な部分を占めているのが、この”気”と表現されるものであり、この”気”と呼ばれる漠然としたもの
を調節してきたのが、実体のあるミネラルでないかという気がします。

 ここまでの考察で、人の心と体は生まれ育った土環境に適応できるように変化して現在に至り、その望ましい
状態を維持していくためには、これまた、その土環境に適応して育ってきた食べ物を食することが必要なことが
わかります。植物が、その育った土の成分をそのまま反映した成分構成を持つことを聞いたことがありますが、
そのようなつながりを考えると、土、植物、人の密な関係が伺えると同時に、”人は土を食べて生きる(間接的に)”
という言葉が的を得たものであることがわかります。

ここでようやくはじめの疑問、”そもそも物つくりの基本はどうあるべきか”についての答えが見えてきます。
それは、”食べる人の生まれ育った近くの土でミネラル環境(種類、量、バランス)を整え、その土を使って
その土のミネラル環境に適応した食べ物を作り、その環境条件を維持、継続する”という形で要約できると思い
ます。では、実際にものを作る立場で、そこに適したミネラル環境をどうして作り、維持していけばいいか。
(私の畑を含めて多くの畑は以前のような、自然に近いミネラル環境にはないと思います)
1つの方法は、よく言われるように、広葉樹の林に見られる腐葉土にならい、畑に落ち葉や雑草を敷きこんで
徐々に腐葉土を作ってミネラル環境を整える。このときの落ち葉や雑草は、もちろん近くの土地から調達する。
ここで気づくのは、身土不二の言葉は一重に人間だけではなく、植物を含む生き物すべてに当てはまるという
こと。(これは逆かも知れませんが) そして、人が健やかに生きていくためには、周りのすべての生き物の
身土不二が必要ということになります。また、やや話が飛躍するようですが、その実現のためには生き物の多様性と
それらのバランスが保たれねばなりません。生き物の中の、多様性の1つであるはずの人間がここにきて飛躍的に
増加し、それにつれて多くの生き物が姿を消してきている現実があります。”農業は自然を守る仕事”とも言われ
ますが、ものつくりの基本からはずれた現状の農業の継続では逆効果だけが目に付きます。

 話を現実のものつくりに戻します。土のミネラル環境を本来の姿に戻すことの次には、その土のミネラル環境に
適応した食べ物(野菜)作り、所謂伝統野菜とも言うべきものの復活。それが無理なら、時間はかかっても、種を
採り続け、その土に適応できる野菜品種に仕立て上げる。最近、自然栽培の分野でよく言われている、種を
採り継ぎ続けることの大切さがよくわかります。野菜の原産国の話が出ることがあるのは、1つにはその栽培条件の
問題と、もう1つはその野菜自体の身土不二の問題からではないでしょうか。上記のどこかでふれましたが、人の身土
不二には食べ物自体の身土不二が欠かせません。

さらに身近な話に戻します。ここ阿蘇の産山に来て畑を開いて(戦前は畑、その後は杉、檜林)10年目になります。
最初は、土はふかふかなのに野菜は育たず、一部、鶏糞や油粕液肥の助けを借りながらの百姓見習いの生活でした。
その頃から雑草や落ち葉を畑に敷きこんできましたが、その当時は上記のような考えはありませんでした。でも、畑は
耕さず、雑草、落ち葉、草木灰の敷きこみは続けながら、自給用野菜を主にして種を採り継いできました。また、特に
深い意味もなく、畑の中、外には木が植わっています。10年で随分と大きくなり、そのうち、木々の中に畑がるような
(理想的な)感じになりそうです。このように見てくると、今回のこの考察が、これまでの仕事の過程を肯定するための
もののように見えるかも知れません。その勘は否めませんが、方向としては正しいものと思います。そして、この10年
間でも畑の様子は随分と変わりましたが、これからも今まで以上の速さで変わって行くのかも知れません。そして、その
方向に、生き物の多様性の保たれた、より豊かな自然が現れてくるものと期待しています。




2007年1月
蘇る畑

   約7年前、10年近い桧林を切り開いて畑を作り始めました。
桧の前は40−50年の杉林で、さらに、その前の戦後すぐの頃までは畑だったという土地です。
大きな区切りで、緩やかな傾斜のある段々畑といった感じです。針葉樹のため、
広葉樹の茂っていた所のような所謂腐葉土はありませでしたが、土はふかふかで柔らかでした。
この柔らかい土の状態を壊さないため、開拓は機械を入れずにすべて手作業でやり、
これまで約5反くらい畑に出来ました。1年目、切り開いた畑に何も栄養分を入れずに、
いわゆる自然農法の真似をして、40種近い色々の野菜を作付けしてみました。
結果は、惨憺たるものでした。育て易いと思ったカボチャではツルが2m位しか伸びず、
花は咲いても実は着きませんでした。葉ものは、芽は出るものの下葉が黄色くなり、
成長が止まるといった状態でした。
これでは、"持ち込まず、持ち出さず"という自然農法はまだ無理と判断し、
2年目以降はむしろ積極的に持ち込む作業を続けてきました。畑周りや道端の草、
さらに道路脇に吹き溜まった落ち葉といったものを出来るだけ多く畑に順次敷きこんでみました。
すると、4、5年目くらいから、例えば、ダイコンはその敷き草の上から種をばら蒔いても間引きが
必要なほど目を出し、すくすく成長していくまでになりました。でも、まだ人参やタマネギなどは
うまくいきませんでした。そして、今年は7年目でした。
相変わらず、タマネギはらっきょといい勝負といったところでしたが、
その他の野菜は2人では食べきれないくらい出来ました。9月以降の晴天続きと、
これまで続けてきた敷き草が根元の乾燥を防いでくれたからだろうと思っています。
当初は草の種類も量も少なかったのですが、周りから草や落ち葉を持ち込むようになってから、
畑には種々、雑多の草が生い茂るようになり、それを抜いたり、刈り敷いたりするだけで
充分な敷き草できるようになった畑もあります。
たぶん、他の畑でも次第に、他から敷き草を持ち込まなくても野菜が元気に育つようなると思います。
少しづつですが、はじめに思い描いた自然農法というものに近づいてきているような気がします。

ここまでの話は、産山に来る前に漠然とですが思い描いていたもでした。
それが目に見える形でようやくあらわれはじめたという感じです。ここからは、
思いつきのような、最近気づいたことです。それは微量ミネラルのことです。
造血作用に必要な鉄分や味覚を司るとされていな亜鉛のような、ごく微量ですが、
人体の機能調整に欠かせないミネラルの摂取が最近著しく減少してきているのではないかということです。
野菜に関してですが、栽培土壌中に、このような微量ミネラルが不足すると病気が発生しやすいそうです。
その方向から無農薬野菜の生産を指導されている人がいます(雑誌の記事ではっきりしませんが、
中島 常充(とどむ)さんという方だったと思います)。そして、その延長での予想ですが、
人に関しても、最近の病人の多さ、精神的不安定を訴える人の多さは野菜との類似性を示すものでは
ないでしょうか。人は食を通じて、直接、間接に土を食べているのですから。
そして、本来、人はミネラルやビタミン類を豊富に含んだ雑草の中から食べやすい草を食べ、
食べにくいものは食物連鎖を経て野生の動物を食べることによって、
ミネラルバランスを整えてきたのではないでしょうか。ところが、
食べられる草を人の近くで栽培し始め、野菜化が始まり、さらに、人為操作が加わり、
最近のような所謂軟弱野菜が出現するに至って、本来の人間に必要な各種微量ミネラルの
バランスよい摂取が極めて困難になってきたのではないでしょうか。
土壌消毒、除草剤の散布などにより草一本はえることも許さない、
商業用単一作物の複数回作付け畑の土、そして、そこで取れる野菜のミネラルバランスの劣悪さは
容易に予想できるところです。でも、そこまでして食べ物を作っても需要に追いつかず、
食料自給率が40%程度しかないとは恐ろしい日本の現状です。話が少しそれましたが、
そのような現状を知った上での私のもの作りはどうあるべきなのかを最近考えています。
そして、そこでは、まず、人間本来の食べ物を基本にすべきであり、
それは、生物(動物、植物)の最大限の多様性を許容した空間(自然)での食べ物つくりにあるという
思いに至りました。要は、大小、様々な色んな植物、動物の混在した中での食べ物つくりです。
当初からこのことを意図したわけではありませんが、私の畑には、周りだけでなく、
畑の中にもねむの木、山桜、もみじ、クヌギ(これは意図して植えたもの)、
コナラなどの木が生えています。当初からあった桧も何本か残してあります。
また畑の中には杉や桧の切り株がそのまま残っています。抜けるようになった切り株を起こしてみると、
その中にはアリや色んな昆虫が住みついています。また、自生していた、株の大きなカヤ(萱)は
そのまま残してあります。台風や強風の日には昆虫の類がその中に避難しているようです。
種々雑多な植物が微生物との相互扶助で健康に育ち、その植物、微生物と昆虫や鳥などの動物との
共生で益々豊かな自然が作られ、その循環の中で、豊かな土が作られていく。
そして、その土ではじめて、ミネラルバランスの良い、本来の人の食べ物を作ることができるのでは
ないでしょうか。見かけだけで内容のない野菜から、雑草のたくましさと豊かさを兼ね備えた本来の
野菜への回帰。そして、人間らしさを取り戻した本来の人への回帰。一個人としての自然との関わり合いは、
全体からみれば、ほんの些細なものであることは確かですが、その些細なことからしか大きな自然、
そして広大なる宇宙なるもを理解することは出来ないような気がします。

"農の心と共に"、何処かで見かけたようなキャチフレーズですが、この言葉につづくことばとして、
"豊かな自然、そじて、豊かな人間性への回帰"というのはどうでしょう。ただ、まだ残念ながら、
私自身にはこの言葉は単なる思い付きに過ぎず、深みがありません。
これからも穏やかな産山の自然のなかで大切な食べ物づくりを続けながら、
このあたりのことばが内実を伴ってくればうれしいことです。



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