遺 跡
大観峰の遺跡から出土した石器は「前期旧石器時代の」物が最も古く、三万年以上五万年前の物と言われるが、長倉遺跡は一万年前の「細石刃」が発見されナイフ型石器文化のなごりと言われる。
大観峰に近いところで、近くにある湯の浦部落の山手の遺跡で、縄文土器が多数採集されている。
阿蘇谷には数多くの古墳があるが「円墳」は上御倉古墳は直径33メートル高さ5.3メートル、「下御倉古墳」は石室の長さが8.8メートルと若干小さくなっていますがいずれも6世紀の中頃に築かれたと言われる。
古墳としては小規模であるが、この地方にしてはかなりの権力者の墓でその家族を含めた「家族墓」ではないかと言われる。
二戸の住居跡が発掘され、多数の土器片や鉄器・砥石等が出土した。中でも貴重なのは「カマド」跡の発掘である。
通称「なべずる線」道路の中間、西湯の浦にあって弥生から室町時代までの生活道具や住居跡が出土している。弥生時代後期の竪穴式住居、古墳時代後期の住居跡なども発掘されている。
弥生時代後期の竪穴式住居跡が群をなして発掘され、石棺四基の中に「花文鏡」やガラスの「勾玉」が発見された。ここから300メートル西には「鏡山遺跡」がある。