乙姫子安観音の由来
乙姫子安観音には、その昔、神功(じんぐう)皇后が応神天皇を懐妊したときに、武内宿禰(たけしうちのすくね)に命じてこの地で安産を祈らせたという話が伝えられています(注1)。
子安河原観音堂の裏にある河原には、女性が仰向けに寝そべっているような形をした岩があり、それを観音様に見立て、周りの石を拾ってお堂に奉納し子宝祈願をします。また岩の上に石を積むといった奉納の仕方をしている人々もいるようです。河原に落ちている石を家にもって帰ったり、子どもに恵まれていない知人に贈るといったこともされています。
この観音様には、地域の人だけでなく、熊本県内外からお参りに来られているようで、子宝成就のお礼参りに来られる方々も多いようです。観音堂の中には、来られた方々が自由に思いを綴ることができるノートがあるのですが、そこには、たくさんの人々の子どもへの思いや、思いが遂げられた時の感謝の気持ちなどがたくさん書き込まれています。
子安観音様は地域の人々に守られながら深い森の中で、静かなたたずまいをみせています。
(注1)「子安河原観音由来」(説明板)阿蘇町教育委員会作成
本資料は熊本県の資料から作成しました。